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30年ぶりのフランス杯を逃したASモナコ…名将ベンゲルのもと全盛期マルセイユに勝利した“栄光の1991年”を振り返る《王宮で歓迎会も》
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フランス・フットボール誌France Football
photograph byL’Équipe
posted2021/09/01 11:00
トロフィーを手に喜ぶラモン・ディアス(左)とユーリ・ジョルカエフ(右)。1991年6月8日、モナコはマルセイユを破って6年ぶりのフランス杯を獲得した
「まだほんの子供だったアルベール王子(現国王)もそこにいた。ロック・アジェル(皇室の別荘)の庭で、彼は僕らとボールを蹴りあって遊んだ。素晴らしい午後だった。僕らはボール遊びに興じ、羊の丸焼きを皆で食べた。暇を乞う直前に、僕は陛下に向かってこう尋ねた。『マルティーグに勝ったらどうしますか?』と。彼は『またここに来ればいい』と答えた。こうして王宮訪問が伝統になった。フランス杯の試合の前には、羊の丸焼きを陛下と一緒に食べる。素晴らしいだろう」
91年の決勝はレーニエ大公がはじめて欠席し、アルベール王子がパリまで同行した。だが伝統は変わらなかった。試合の後、大々的なレセプションがパリのメリディアンホテルでおこなわれ、晩餐は夜半過ぎまで続いた。
「そういうことに僕は慣れていなかったから、とても儀礼的でちょっと驚いた。彼らと一緒にいるのは妙な感じだった」と、決勝ゴールを決めたパッシが回想する。
「でも誰もが揃っていた。スタッフも選手とその妻たちも。それに王子も。特別な何かがそこにはあった。皇室の方々は勝利を心から喜んでいた」
喜びに沸くモナコ公国
モナコに戻ってからも歓喜は続いた。
「僕らはくたくただった」とソノールが冗談めかして語る。
「パリでは2週間ずっと騒ぎ通しで、そのまま南に戻る飛行機に乗った。ところがモナコに到着すると、ほとんど何も覚えていなかった。信じられなかった。凱旋パレードの車の中で、僕らは死んだように大人しかったが、周囲はどこも人でいっぱいだった。本当だ。まるでフランスチャンピオンになったようだった。モナコで僕らは必ずしもよく思われていなかったから、これには感激した。フランス杯に優勝したことで、存在を誇示することができた。広場では多くの人たちが勝利を喜んでいた」
パレードの最後には、王宮での歓迎会が用意されていた。
「チームの全員がメダルを授与された」とソノールが語る。
「数週間にわたり、さまざまな招待を受けた。テニスの大会やF1グランプリにも招かれた。僕らは英雄であり、まるで神のようでもあった。モナコのすべてが、優勝を誇りに思っていた」
それから30年が過ぎた。重ねた年月は、モナコにとって永遠ともいえる時間だった。
「あるときそのことを考えた」とエトリは言う。
「僕がフランス杯のトロフィーを掲げたモナコの最後のキャプテンだ。もうずいぶん昔のことだ」
ソノールも同じ気持ちを抱いている。
「息子に言われた。モナコは再び優勝して、そろそろ僕らを解放すべきだと」