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貧しい生い立ち→10代でゴール量産も「Jリーグ、ムリ」や“227分でイエロー1枚”… 超人な問題児フッキの強烈すぎ半生
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/08/20 11:01
札幌や東京VなどJリーグでも大暴れしたフッキ
転機は札幌、ヴェルディへの期限付き移籍
まだ若いとはいえ、外国人FWとしては平凡な成績で、しかもピッチ内の態度に問題があった。期限付き移籍の期間が満了したら、ブラジルへ送り返されても不思議ではなかった。
しかし、川崎Fはフッキの潜在能力を高く評価し、ヴィトリアから完全移籍させた。そして、経験を積ませるため、当時J2のコンサドーレ札幌へ期限付き移籍させた。
この移籍が、フッキにとって吉と出た。マーカーを蹴散らすようなパワフルなドリブルと暴力的なまでに強烈な左足シュートは、J2では異次元だった。ゴールが見えたら距離、角度、全く関係なしにシュートを放ち、それが面白いように決まる。2006年のリーグ戦で、38試合に出場して25得点。ただし、イエローカードが多いのは相変わらずだった。
2007年はやはり当時J2の東京ヴェルディへ貸し出され、リーグ戦で42試合に出場して歴代最多タイの37得点を叩き込み、ぶっちぎりの得点王。チームがJ1へ復帰する原動力となった。
変わらぬ問題児ぶり……「Jリーグ、ムリ」
2008年は、川崎Fへ復帰した。期限付き移籍を経て買い取り、2シーズン、J2で経験を積ませた。その甲斐あって急成長したとあって、クラブの期待は大きかった。
しかし、選手としては大化けしていても、問題児ぶりは全く変わっていなかった。3月15日の第2節ヴィッセル神戸戦の後半、チームが0-3とリードされている状況で関塚隆監督から交代を命じられると、怒り狂って監督との握手を拒絶。以後、チーム練習に参加しなくなり、退団を申し出た。
「超人ハルク」が暴れ出したら誰にも止められないのと同様、駄々をこねたフッキも制御不能だ。前年に在籍した東京Vからオファーを受けると、川崎Fは移籍を認めるしかなかった。
ところが、そうまでして移籍した東京Vでも、次々にトラブルを起こす。4月12日の第6節FC東京戦で主審に暴言を吐き、3試合の出場停止処分を受けた。5月10日のJ1第12節・大分トリニータ戦では、相手選手から執拗なマークを受けて主審に反則をアピールしたものの取り合ってもらえず、試合後、テレビカメラに向かって「Jリーグ、ムリ」と不満をぶちまけた。
「日本でプレーする意欲をなくした」
6月下旬まで16試合に出場して8得点とプレー内容は良かったが、「日本でプレーする意欲をなくした」としてクラブに退団を申し入れる。そのことを知って、ポルトガルの名門ポルトが獲得の意思を表明。7月末、移籍金550万ユーロ(約7億1000万円)でポルトへ移籍した。
彼を日本へ連れてきた川崎Fではほとんど貢献できなかったが、コンサドーレ、そして東京Vでは大爆発。さらに、東京Vには巨額の移籍金を残した。