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「僕も普通の人間だよ」夜中12時の全豪OPで泣き出したサンプラス…あの時何があったのか?〈26年前の名勝負〉
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2021/08/12 11:03
本日8月12日はサンプラスの誕生日。1995年の全豪オープン準々決勝、突然の涙の理由とは?
コーチというのは、約3年サンプラスとともに歩んできたティム・ガリクソンのことで、彼のコーチングのもとでサンプラスは数々のグランドスラム・タイトルと初めてのナンバーワンの座も手にした。当時43歳だったそのガリクソンは大会中に発作を起こして、病院に運ばれていたのだ。そのことは地元でも報じられていたが、おそらく容体は世間が知る以上に深刻で、試合の前には急遽アメリカに帰国するほどだったという。
大声で呼びかけたクーリエ「ピート、大丈夫かい?」
サンプラスの尋常ではない様子はその後も続き、第3ゲームの自分のサーブで再びコントロールできないほどに陥った。目を固く瞑り、歯を食いしばり、それでもこらえきれない涙と格闘し続ける姿を見て、ネットの向こうからクーリエが大声でこう呼びかけた。
「ピート、大丈夫かい? なんだったら、続きは明日にしようか?」
サンプラスの深刻さとは対照的な軽いノリに、どっと笑いが起こった。ここで優勝した夜、会場のそばを流れるヤラ川に飛び込むような奇抜な男だ。しかし、この提案はジョークなどではなかったのだとあとで説明した。
「ピートはすごく具合が悪そうに見えたし、僕もかなり限界だった。明日なら、ふたりとももっといいプレーを見せられると思ったんだ」
クーリエは全身を痙攣に襲われていたという。自分と同じ辛さ、同じ苦しさを抱えて友人は泣いていると思ったのだ。だからといって、こんな提案は後にも先にも聞いたことがない。万が一サンプラスが同意したところで試合が順延になるはずもない。
それにしても、不思議なものだ。このクーリエの言葉をきっかけにサンプラスは平常心を取り戻していく。とっさに何かを言い返そうとしたように見えたが、言葉は発さず、大きく息をついてサービスエースを放つと、引き締まる表情から涙の余韻は消えていった。
アメリカ黄金期を支えた2人
あの頃はサンプラスの涙の衝撃にとらわれていたが、あらためてあのいくつかのシーンを振り返ってはっとする。嗚呼これこそがアメリカの黄金時代だったのだと。この二人のほかに、アンドレ・アガシがいてマイケル・チャンがいた。全員が70~72年生まれで、全員がすでにグランドスラム・チャンピオンである。これだけ個性の異なる実力者が同じ国に揃えば、親しみだけでないさまざまな感情が生まれるだろう。しかし、子供の頃から知り、戦い、比較されてきた彼らの関係には、互いのポテンシャルを最大に引き出す力があったに違いない。
あのときクーリエの提案の本意をサンプラスはどう考えていたのか、残念ながらそれを聞いたり読んだりした記憶がないのだが、とにかくサンプラスは泣くことをやめ、クーリエも全力を振り絞った。最終セットは互いのキープで進む中、第8ゲームをサンプラスがブレーク。サービング・フォー・ザ・マッチでも強力なサーブを炸裂させ、マッチポイントでクーリエのリターンがベースラインを越えると、サンプラスは静かに両腕を突き上げた。二人はゆっくりとネットへ向かって歩み寄り、サンプラスがクーリエの肩を抱いた。