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“29年前のバルセロナ”を知る荻野正二が見た東京五輪…全敗の北京、清水に託したバトン「この先が楽しみ」
posted2021/08/06 11:00
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
JIJI PRESS
オリンピックは、久しぶりに訪れたチームに、持っている力を出させてくれない舞台――。
2008年北京五輪で刻まれたそんな記憶を、東京五輪に臨んだ男子バレーボール日本代表は、鮮やかに塗り替えた。3大会ぶりに臨んだ五輪の舞台で、予選ラウンドを3勝2敗の3位で突破し、1992年バルセロナ五輪(6位)以来29年ぶりの準々決勝進出を果たした。
当時、4大会ぶりの出場だった北京五輪では、1勝もできずに大会を終えた。4連敗で予選ラウンド敗退が決まった時、38歳の主将・荻野正二は、1人、ベンチに座ったまま肩を震わせて泣いていた。日本はもっと何かできたはずだという歯がゆさが、ひしひしと伝わってきた。
今回の東京五輪は、地元開催のプレッシャーも加わる中、選手たちは「オレたちの力を見せてやろう」と言わんばかりに躍動した。1人1人がしっかりと役割を果たして、初戦でベネズエラを3-0で下し、13年前は遠かった1勝をつかんだ。
そして、2勝2敗で迎えた予選ラウンド最終戦。勝ったほうが準々決勝に進むことができるイランとの大一番に、フルセットの末、勝利。29年ぶりに予選ラウンドを突破した。
準々決勝では前回王者のブラジルに敗れ、試合後、主将・石川祐希の目には涙があふれた。しかし悔しさの中に、やりきったという清々しさも伝わる涙だった。
元主将・荻野が見るキャプテン石川祐希
現在はサントリーサンバーズでアンバサダーを務めるかつての主将・荻野は、現主将を頼もしそうに見つめた。
「特に劣勢の時や、『ここから行かないと』という時にしっかり声かけをしていて、周りを見られる選手。イラン戦は最初なかなかスパイクが決まっていなかったけど、そこで腐るんじゃなく、サーブレシーブやブロック、サーブなど他のところで活躍しながら、しっかり周りを見てコントロールしていた。
技術はもともと長けていますが、技術以外のところでも、25歳とまだ若いんですけど、精神的支柱になっていましたね。浮き足立ちそうになるところで、しっかりとみんなを落ち着かせたから、初戦のベネズエラ戦からいいスタートを切れたんじゃないかと思います」
22歳でバルセロナ五輪に出場した荻野は、それ以来となる29年ぶりの快進撃に「月日が経つのは早いですね。僕は22で出て、もう51だから」と感慨深げだった。