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<急逝から10年>「選手の気持ちを分かってやれる監督に」松田直樹の“願望”と「一緒にライセンス受講」を約束していた男の今
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/08/04 11:03
松本山雅で一緒にプレーしていた松田直樹(左)と北村隆二
一緒に指導者B級ライセンスを受講する約束をしていた
当時は練習場を転々としていたため、木島徹也が車を出して松田、北村、木島の兄・良輔が乗り込んで練習場を往復していた。松田は決まって運転席の後ろに陣取って、豪快な笑いを飛ばしていたという。その隣が北村の席だった。
松田の死を受け入れるまでに当然ながら時間が掛かった。シーズンオフには一緒に指導者B級ライセンスを受講することを約束していた。
その後彼は本気で指導者を目指していくことになる。
松本山雅を離れた2013年、FC岐阜SECONDに移籍したのも「コーチ兼任プレイヤー」がプラスになると考えたからだ、
「監督の要求を選手として体感しながらプレーして、若い選手たちに伝えていくほうが、いろいろ感じられると思いました。やっぱり選手にも『自分はやれないくせに』とか『やれない人から言われたくない』ってあると思うんです。だからこの兼任という経験は自分にとって凄くプラスになりました」
この年の10月、東京国体のサッカー成年男子に出場し、地元の東京選抜を1-0で下して岐阜勢として初優勝を果たす。選手目線を心掛け、選手同士で話す機会を増やした効果があらわれた。指導力を買われて2017年からマルヤス岡崎にやってきた。
「結果はどうであれ、選手たちは一生懸命戦っている」
天国の松田が見守る“ラストマッチ”。
いつものようにハーフタイムに入ると選手一人ひとりをハイタッチで迎え、後半に入る前には円陣を組んで言葉を送ってから、再び一人ひとりを送り出す。
「ハイタッチですか? 結果はどうであれ、選手たちは一生懸命戦っているわけですから、ああやって迎えたいなって」
シーズン途中での役職交代に複雑な感情もないわけではないだろう。だが一つのチャレンジが終わったことを前向きに捉えようとしている彼がいた。