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<急逝から10年>「選手の気持ちを分かってやれる監督に」松田直樹の“願望”と「一緒にライセンス受講」を約束していた男の今 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byJ.LEAGUE

posted2021/08/04 11:03

<急逝から10年>「選手の気持ちを分かってやれる監督に」松田直樹の“願望”と「一緒にライセンス受講」を約束していた男の今<Number Web> photograph by J.LEAGUE

松本山雅で一緒にプレーしていた松田直樹(左)と北村隆二

連勝街道を進んで奇跡のJ2昇格を果たしていく──

 ショートコーナー。背番号7の北村がクロスを上げ、それを中央で待っていた背番号4の飯田がヘディングで決める。「マツ・マツ・マツ」の横断幕の前で、歓喜の輪が広がる。スタンドが沸騰する。もうそこに土砂降りの雨はない。試合には負けてしまったが、一致団結した彼らはここから連勝街道を進んで奇跡のJ2昇格を果たしていく──。

 そんなことを思い出していると、帰り支度を終えた北村がスタジアムのロビーにあらわれた。会うのも話すのも、彼が松本山雅で最後のシーズンとなった2012年以来、8年半ぶりであった。

 選手時代とまったくと言っていいほど面影は変わらない。再会の挨拶を交わした後、衝撃の言葉を告げられる。

「実はきょう、監督ラストマッチだったんです。まさか雷で中止になるとは……」

「マツくん、見てくれていたんですかね」

 2017年シーズン途中にコーチから監督に昇格して丸4年。チーム初となるベスト10入りを果たすなど手腕を発揮していたが、8月1日よりチームのテクニカルディレクター(TD)に就任するという。そんな北村に「8月7日のあの試合」を振ったら、苦い笑みを柔らかい笑みに変えた。

「マツくん、見てくれていたんですかね。もしそうだったらうれしいですね」

 彼はボソッと言った。

 北村は松本山雅時代の松田直樹をよく知る一人である。

 年は松田の4つ下で、誕生日は1日違い。名古屋グランパス、FC岐阜を経て2009年から松本山雅の一員になったボランチは、周りからも一目置かれる存在だった。松田が同じマンションに引っ越してきたことで自然と仲良くなった。

【次ページ】 一緒に指導者B級ライセンスを受講する約束をしていた

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