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「めちゃくちゃ出たかった」21歳稲見萌寧が喜び爆発、急成長で掴んだ東京五輪…“モネ”と名付けられた理由は? 

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キム・ミョンウ

キム・ミョンウKim Myung Wook

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photograph byAtsushi Tomura/Getty Images

posted2021/07/02 11:01

「めちゃくちゃ出たかった」21歳稲見萌寧が喜び爆発、急成長で掴んだ東京五輪…“モネ”と名付けられた理由は?<Number Web> photograph by Atsushi Tomura/Getty Images

最後までもつれた東京五輪代表の座を掴み取った稲見萌寧(21歳)

 アマチュア時代はどうだったのかというと、決してエリートの道をたどってきたわけではない。

 小学校5年生から千葉県の北谷津ゴルフガーデンに通い、腕を磨いた。今も空いた月曜日にはここで練習する日も多く、稲見のホームグラウンドのようなもの。「自宅にいるよりもこの練習場にいる時間のほうが長い」というほど通い続けて10年ほどになる。

 ショートコースに砲台グリーン、グリーン周りからも転がしたり、ロブショットを打ったりと、実際の試合を想定した様々な場面の練習ができるのが強みで、それが技術向上につながった。ここでは男子プロの池田勇太、市原弘大のほか、女子プロでは飯島茜や葭葉ルミなど多くのプロゴルファーを輩出したことでも有名だ。

 初優勝したときも「気づいたら10時間ぐらいは練習しています。大会中は次の日に影響が出ないようにしていますけど、7~8時間ぐらいはやっています」とケロッと話していたが、とにかく練習を休むことを知らない。

 そんな努力の甲斐あって、高校時代の16年には日本ゴルフ協会(JGA)ナショナルチーム入りを果たし、日の丸を背負い「トヨタジュニアゴルフワールドカップ」「ネイバーズトロフィーチーム選手権」など国際大会出場も経験している。

「mone」の名は世界に轟くか

 再び日の丸を背負い戦う場所が、まさか東京五輪になるとは想像もしていなかっただろう。

 ちなみに「萌寧」の名は世界の誰もが覚えやすいようにと、母親が名付けた。確かに「モネ」は覚えやすい。東京五輪で「mone」の名を刻むことができれば、将来的に頭に描く米ツアー参戦の日もグッと近づくはずだ。

 その時はもう“無名”とは言わせない。

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