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「めちゃくちゃ出たかった」21歳稲見萌寧が喜び爆発、急成長で掴んだ東京五輪…“モネ”と名付けられた理由は?
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byAtsushi Tomura/Getty Images
posted2021/07/02 11:01
最後までもつれた東京五輪代表の座を掴み取った稲見萌寧(21歳)
強さの要因について聞かれると「自分ではよくわからない。でも負けたくない気持ちが強い」と話していた。確かに彼女は、プロ入り当初から負けず嫌いだった。
高校卒業後の18年にプロテスト初挑戦で見事合格を勝ち取ったが、同年のサードクォリファイングトーナメント(QT=予選会)を突破できず、最終に進めなかった。
19年のQTランキングは103位。レギュラーツアーの出場は限られるなか、同世代の選手たちは、どんどん勝ち星を挙げ、ステップアップを続けていた。
稲見が根っからの負けず嫌いだと感じたのが、19年3月の「アクサレディス」で河本結がツアー初優勝をしたときだ。こんなエピソードがある。
ジュニア時代から仲が良いという1つ上の先輩に「おめでとう!すぐに追いつくから待っていて」とLINEでメッセージを送った。河本からは「つらかったけれど乗り越えられたから勝てた」と返事が来た。そこで稲見は「負けていられない……」と心の中で思ったという。
10代最後の日にツアー初優勝
その後は前半7試合で「第1回リランキング」(獲得賞金のランキングによって出場の優先順位を入れ替える制度)で14位に入り、中盤戦の出場権を得ると、それから4カ月後――7月の「センチュリー21レディス」でツアー初優勝を手にした。
翌日は20歳の誕生日で、10代最後の日に手にした優勝だった。最終的に賞金ランキング13位で初シードの獲得に成功。
さらに19年のパーオン率は78.2079%の1位で国内女子ツアー歴代最高を記録。2位イ・ミニョンの76.1504%という数字を見れば、稲見のアイアンショットの精度の高さは群を抜いていたことがわかる。そんな急成長ぶりが評価され、JLPGAアワード(年間表彰式)では新人賞を受賞した。
「遊びはもっと大人になってからでいいと思います。世界一になるためには1秒も無駄にできません」
周囲のライバルたちに負けたくない一心で練習に明け暮れていたというが、この言葉は本物だった。