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【世界一危険な格闘技】デビュー戦で顔ボコボコ…元ホームレスの“ハンカチ世代”格闘家がミャンマーに学校を建てた話
text by
占部哲也(東京中日スポーツ)Tetsuya Urabe
photograph byTetsuya Urabe
posted2021/06/15 06:00
7月22日の試合に向けて調整を続ける渡慶次幸平。骨折を繰り返した右拳の握力は一桁ぐらいしかないという
渡慶次は高校まで野球に青春を捧げた。斎藤佑樹が由来となる1988年生まれの“ハンカチ世代”。沖縄・糸満高ではキャッチャーとして活躍し、ダルビッシュ有とも対戦経験があるという。
「野球では勝てない。壁を感じた。大学進学の話もあったけど、プロは無理だと思って諦めた」
引退後の夏、同じような体格の山本KID徳郁に憧れ、格闘家を志した。意気揚々、花の都に乗り込んだがホームレスに転落。先輩の助けで仕事も始めたが格闘技ジムに入ったのは20歳の時だった。
「ホームレスの時に最後に残ったのが60円。そこからバイトで10万円ももらえると舞い上がってしまって2000~3000円のおいしいランチとか食べちゃって。ジムに入るためのお金をなかなか貯められなかった。本当に世の中なめていますよね」
妻から言われた「顔が死んでいる」
24歳で結婚、総合格闘技「パンクラス」でプロデビュー(当時23歳)するも、くすぶった。名ばかりのプロ。アルバイトで生計を立てた。金と名誉を手に入れるはずだった自慢の拳は虚しく空を切った。26~27歳の時には、格闘技から離れた。いや、“休職”しなければいけなかった。第二子が誕生、生活をするためだった。
「妻も幼い子2人を育てるのは大変で。子どもの面倒もみないといけないし、お金もかかる。コンビニの店長に専念しました」
拳を握ることも、キックで打撃音を響かせることも許されなかった。
「心の中で『つまんねぇ~なぁ~』『つまんねぇ~なぁ~』って繰り返していましたね。充実感がなくて……そうすると気も沈んでいって。最後は何かに追い詰められている感じになった。今、思うと鬱になっていたのかもしれない」
妻から「顔が死んでいる」と言われ、ハッと気づいた。格闘技をやりたい――。心の叫びを聞いた。
「30歳までに食えないようだったら辞める。だからもう一度だけチャンスをください」
真摯に頭を下げた。妻から返ってきた言葉は「それならもう一回やればいい」。いい加減だった男が、初めて腹をくくった瞬間だった。