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【世界一危険な格闘技】デビュー戦で顔ボコボコ…元ホームレスの“ハンカチ世代”格闘家がミャンマーに学校を建てた話

posted2021/06/15 06:00

 
【世界一危険な格闘技】デビュー戦で顔ボコボコ…元ホームレスの“ハンカチ世代”格闘家がミャンマーに学校を建てた話<Number Web> photograph by Tetsuya Urabe

7月22日の試合に向けて調整を続ける渡慶次幸平。骨折を繰り返した右拳の握力は一桁ぐらいしかないという

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占部哲也(東京中日スポーツ)

占部哲也(東京中日スポーツ)Tetsuya Urabe

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Tetsuya Urabe

 人生、一寸先は「闇」ではなく「光」――。

 映画『迷子になった拳』に出演した格闘家・渡慶次幸平(とけし・こうへい)の人生からこんな言葉が浮かんだ。

 無謀で無計画だった10~20代にホームレス、鬱(うつ)を経験し、リアルに「闇」の地べたをはいずり回った。29歳でミャンマーの国技「ラウェイ」という「光」と出会う。30歳で“外国人”王者になり、政情不安定なミャンマーで忘れ去られた田舎の学校再建に関わり、子ども支援も行う。今や迷いなく「きれい事を形にしたい」と口にする。先行きが不透明な時代だが、一寸先には光があるかもしれない。渡慶次幸平、33歳。“戦闘記”の始まり始まり~。

 ◇◇◇

 コロナ禍の昨年。渡慶次はファイトマネーやクラウドファンディングで集めた約500万円をミャンマーの学校建設などに寄付した。

「ラウェイに出会っていなければこんな人間に絶対になってない(笑)。失敗続きの自分を応援してくれる人が増えた。自分が変わったというよりも、周りに変えてもらった感覚に近い。今は、本当に環境が人をつくると思う。だから、ミャンマーの子どもたちの環境を変えてあげたい。学校が変われば絶対に変わる」

 丸刈りの33歳は、格闘家ではなく徳を積んだお坊さんのようにも見えた。でも、戦闘記の始まりは……「ダメで、世の中をなめている」生臭坊主だった。

所持金3万円で沖縄から上京

 14年前。19歳の秋に格闘技のスターを夢見て、沖縄から上京した。当時の所持金は3万円だけ。

「高校を卒業してからバイトして貯めようと思ったけど使っちゃって。残ったのはお年玉だけだった」

 無計画。若さの勢い。銀行口座もなく、アルバイトも見つからない。寝床は漫画喫茶からマクドナルドへ。上着はパーカー1枚。初めて迎えた東京の冬は「とにかく寒かった。暖かくて、きれいだったので最後は目黒駅のトイレで過ごした。東京砂漠でさまよいましたね」。照れくさそうに頭をなでて振り返った。頼れる故郷の先輩を見つけるまで、約3カ月間ホームレス生活を経験した。

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