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【世界一危険な格闘技】デビュー戦で顔ボコボコ…元ホームレスの“ハンカチ世代”格闘家がミャンマーに学校を建てた話
text by
占部哲也(東京中日スポーツ)Tetsuya Urabe
photograph byTetsuya Urabe
posted2021/06/15 06:00
7月22日の試合に向けて調整を続ける渡慶次幸平。骨折を繰り返した右拳の握力は一桁ぐらいしかないという
2015年の現役復帰後から1年余りはパンクラスでは3勝3敗と突き抜けられなかった。30歳までのリミットが迫っている時に、ジムの会長から「『ラウェイ』っていうやばい競技をやらないか?」と声をかけられた。「ファイトマネーはいくらですか」と聞くと、それまでの10試合分だった。世界一危険とも言われる格闘技の存在は知らなかったが、「やります」と即答した。
ミャンマーの国技は神聖だが、それと比例するように過酷で過激だ。拳はバンテージを巻くだけ、頭突き、肘、投げと何でもあり。骨折は当たり前、時には失明する選手もいる。
2017年6月の初戦。日本開催の大会でミャンマーが誇る無敗の新鋭から洗礼を浴びた。平たく言えばボコボコにされた。試合後に顔は腫れ、原型をとどめていない。
「パンチは硬球が顔面に当たる感じ。それも1発じゃないでしょ。痛い、痛いの連続。頭突きで意識は飛ぶし、切れて何十針も縫う。そりゃ、顔も変形しますよ」
高校時代に捕手として白球を体にぶつけてきたが、比ではなかった。それでも辞める選択はなかった。全身の痛みは興奮と希望に変換された。
「単純にお金をくれる(笑)。これなら『本当の意味でのプロ格闘家として食える』と思った。試合を終えて、妻に50~60万円を渡すと喜ぶし、自分も誇らしかった。家賃も払えて生活もできる。回っていきましたね」
耳に届き始めた「トケシ」の声
暗闇に光が差した。渡慶次は金の鉱脈に向かって突進した。「死んでも勝つ」。遺書を残してリングに上がった。5戦目で初勝利。個人スポンサーも付き、「日本人頑張れ」から「トケシ」コールに声援は変わっていく。
「パンクラスの時、最後の方は応援されることもなかった。自信と誇りを取り戻しましたね。スポンサーもついてバイトもしなくていい。練習だけに専念できてパフォーマンスも上がった」
6戦目では「命をかけてゾーンに入った」といい、ミャンマーの英雄をKOで倒して波に乗った。恐怖を振り払い、勇猛果敢に前進する。本場でも日本大会がテレビ中継され、熱狂的なファンの心をつかむ。「狂戦士」と呼ばれる人気選手になった。