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河原純一のようなキレイ系右腕&周東佑京クラスの韋駄天…首都大2部でひっそりとプレーする2人のスター候補とは?【2021年ドラフト隠し玉】
text by
高木遊Yu Takagi
photograph byYu Takagi
posted2021/05/27 17:02
スカウトたちの評価が高かった明星大・権田琉成。入替戦の切符を手に、首都大リーグ1部昇格を誓った
両スカウトも筆者も権田を生で見るのは初めて。明星大で目星を付けていたのは、どちらかと言えば後述する“学生球界屈指の韋駄天”だったが、権田がその主役の座を奪った。
初回に1点こそ奪われるが、以降は快調に飛ばしていく。2回以降は球速表示が130キロ台から140キロ台前半に落ち着いてきたが、「序盤にストレートを狙われていると感じたので、同じ軌道から曲がるボールで勝負しようと決めました」と、捕手・田中麟太郎と相談し、スライダーやカットボールの比率を高めたのだという。
そして、1イニングに数球ほど140キロ台中盤から後半のストレートを投じ、初回の球速がまぐれではないことを証明。7回6安打8奪三振2四球1失点の好投でチームも3対1と勝利して優勝。入替戦行きのチケットを掴んだ。
上田西高時代の背番号は「11」
長野・上田西高校時代に最速147キロを計測したこともあったというが、当時はエース工藤陽平(現JR東日本東北)の存在もあり、背番号は11。スカウトから注目を集める存在ではあったが、まだまだ完成度は低く、明星大へ進んだ。権田が入学当時の明星大監督で、現在は同大の名誉監督を務める浜井澒丈(はまい・ひろたけ)氏とは、社会人野球までプレーした権田の祖父と親交があったことも進学のきっかけになったという。
大昭和製紙やローソンで監督を務め、明星大では巨人・松原聖弥らを育てた浜井氏の「環境に慣れるまではゆっくりと育てる」という方針のもと、権田は焦ることなくじっくりと育っていった。現在、指揮を執る吉田祐三監督が「マイペース」と評す権田には、それがよく合ったのだろう。
さらに「可愛げのある子なので、仲間が“ゴン(権田)しっかりやれよ”と言ってくれたこともあって、3年生くらいから変わってきました」(吉田監督)とスイッチが入った。権田自身も「上級生になってからは後輩もたくさんできましたし、チームを引っ張るためにも練習量を増やしました」と振り返る。体格も食事やトレーニングの成果が表れ、180センチ82キロとある程度のレベルまで出来上がってきた。
ただ、まだ“ある程度”という印象で、浜井氏はその伸びしろの大きさに期待する。