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Jリーグ226試合出場、31歳で引退の椋原健太…なぜジーンズメーカーに就職した?「裏地あったかパンツ」との衝撃の出会い
text by
石倉利英Toshihide Ishikura
photograph byToshihide Ishikura
posted2021/05/13 06:00
サッカーとは違う畑での第二の人生を歩み出した椋原健太(31歳)
クラブの北川真也・代表取締役社長や、鈴木徳彦・代表取締役ゼネラルマネジャーに依頼すると、快くアポイントを取ってくれた。「良い人材がいれば社員を採用しようと思っていた」という中村代表取締役も、3年前の訪問を覚えており、「サッカーであれだけ頑張れるのだから、ウチに来ても絶対にやってくれると思った」と振り返る。
入社が決まると、すぐに自宅のPCでタイピングやエクセルを練習した。中村代表取締役には、2月の月締め翌日の26日から出社すればいいと言われたが、「何もしていないのが嫌で、すぐに働きたかったので」8日に初出勤。すると、すぐさま壁にぶつかった。
「FAXの送り方も、コピー機の機能も分からず、イチから上司に教えてもらいました。メールを送るときのCCやBCCの使い方も知らなかったですね。一番苦労したのは2つ、3つの仕事を任されたとき。優先順位を決めて要領良くこなすことができず、焦ってパニックになってしまいました。サッカーのときはボールだけじゃなく、周りも見ながら、いろいろなことを考えてプレーできていたのに……。自分のポンコツさに驚いて、がっかりしました」
元Jリーガーとしての責任
名刺には『企画営業』と記されているが、実際には商品の企画から品質と在庫の管理、バイヤーへの説明など、ありとあらゆる業務をこなす。初出勤から3カ月、仕事に必要なスキルは一通り覚え、「会社の仲間を助けたい、少しでもお手伝いができるように、という思いで精一杯やっています。今後は年齢層に応じた売れ筋のアイテムを予測するなど、ファッションのことを勉強しなければいけない」と意欲的だ。
中村代表取締役も「さすがサッカーで鍛えただけあって、よくやっている」と評価する。
セカンドキャリアを歩み始めて、サッカーで培ったものの価値と、元Jリーガーとしての大きな責任を感じている。
「気持ちの強さや体力、続ける姿勢は、社会人になっても通用すると感じます。横浜バディーSCからFC東京のアカデミー、その後のプロクラブでも、多くの指導者の方々に人間として成長させてもらったことが、いまに生きていますね。スポンサー企業に就職するという話は、あまり聞きませんが、自分がダメだったら、サッカーをやっていたヤツはダメだと思われてしまいます。この先に引退する選手に良い道を作るためにも、頑張らなければいけません」