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Jリーグ226試合出場、31歳で引退の椋原健太…なぜジーンズメーカーに就職した?「裏地あったかパンツ」との衝撃の出会い
text by
石倉利英Toshihide Ishikura
photograph byToshihide Ishikura
posted2021/05/13 06:00
サッカーとは違う畑での第二の人生を歩み出した椋原健太(31歳)
最初に契約満了を伝えられた席で引退の意思を告げると、強化部のスタッフや周囲は驚いた。他クラブからのオファーを待つことを勧められ、実際にいくつか話はあったものの、心に再び火がともることはなかった。
「引退を告げてからの1カ月半が、いま振り返るとよかったです。5歳から25年以上もやってきたサッカーに、お別れの思いを持ちながらプレーできた。まだプレーできる状態なのに、自分からやめて違う道に進むのは素敵じゃないか、と言ってくれた方もいます。最終節では感情が高ぶって泣いてしまいましたが、きちんとお別れができました」
セカンドキャリアで、指導者やクラブのスタッフになるつもりは一切なかった。
「一度きりの人生を、今後もサッカーに捧げようとは思わなかったです。違う人生を歩みたいと考えていました。学生時代は年代別代表の海外遠征で、1カ月くらい授業を休むのもザラ。学校の行事も、ほとんど出たことがありません。普通のこと、普通の生活がしたかったんです」
思い出したあのジーンズ
東京都出身で、築地や豊洲の卸売関係の職場で働く両親を見て育ち、普通の家庭にあこがれていた。プロの世界は、いつ契約が満了になるか分からず、ケガをすれば、その瞬間にキャリアが終わってしまうかもしれない。そんな厳しさと真摯に向き合う一方で、心の窮屈さを感じていた。
スポンサー企業の訪問は、若い頃は「正直、面倒くさかった」と苦笑い。しかし年齢を重ね、スポンサー料が自分の年俸にも使われていることを理解してからは、各クラブで企業を訪問しながら、業態や商品などを興味深く見つめてきた。
いざ引退するとなって、最初に頭に浮かんだのは、あのジーンズだった。
「次の仕事を始める上で、どこで、誰と、何をしたいか考えたとき、僕が衝撃を受けた商品をたくさんの方に広めたい、アン・ドゥーでいい商品を作りたいと思いました」