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内田篤人vs長友佑都、CL4強を懸けた最高峰の日本人対決から10年…欧州に挑戦する後輩たちに内田が“必要”と感じたこととは
posted2021/04/13 17:50
text by
内田知宏(スポーツ報知)Tomohiro Uchida
photograph by
Getty Images
日本人選手が最も世界に近づいた日と言えるかもしれない。
2011年4月13日に行われたチャンピオンズリーグ(CL)準々決勝第2戦。シャルケの内田篤人はインテル戦に臨んだ。敵陣の同じサイドに目をやれば、CL初先発となる長友佑都が立っている。
日本人初の4強入りをかけた一戦。「インテルとはやりたくない。準々決勝で日本人同士がつぶし合わない方がいい。できるならもっと上でやりたい」と話していた内田にとっては、避けたかった対戦。一方、「(内田と)当たりたいですね。日本人対決で日本の方々を喜ばせられる」と話す長友にしてみれば、望んだ相手だった。考え方やプレースタイルも対照的な2人のサイドバックが、世界最高峰の舞台で相まみえることになった。
評価を上げる長友、主力を外された内田
当時、内田に対しては批判の声が少なくなかった。特に守備についてで、比較対象はまぎれもなく長友だった。タッチライン際の上下動を繰り返して味方に使われるタイプの長友は、南アフリカW杯でカメルーン代表のエトーら対戦国のエースを封じ、ベスト16進出の立役者となった。
一方でバランスを取り、味方を使う内田は同大会直前、守備力の懸念から主力を外された。戦前「なぜ、内田を外すのか」という議論にもならないまま、本大会は出番がないまま終わった。大会後に鹿島からシャルケへ、その半年後に長友がチェゼーナからインテルへ移籍した。このCL準々決勝の前も、より注目を集めていたのは長友だった。
しかし、ピッチで目を引いたのは内田の方だった。インテルのエトーに対し、スピードを殺す守備で仕事をさせない。ミドルシュートには、先陣を切って体ごと飛び込んでいった。攻撃では、相手に詰められながらも前線につける縦パスが光った。攻守における活躍は、相手選手の目にも留まった。
1-0で迎えたハーフタイム、ブラジル代表で右サイドバックのマイコンからユニフォーム交換の申し出を受けたという。試合後になると、内田のユニフォームは同じ日本人の長友に渡ると予測したのだろうか。快く応じた内田は後半も引き締まったプレーを見せ、2試合の合計スコア7-3の快勝に貢献。日本人として初めてCL4強の扉を開いた。
試合後、偉業について問われた。
「日本人はもともとやれると思う。そのうち、すぐ(この記録を塗り替える選手が)出てきますよ。日本人はもっとやれるというのを見せないと」
素直にうれしい、と言わないのはいつも通りだが、その表情は輝いていた。ドイツに来て1シーズン目。歴史を作ったことよりも、新しい世界を見つけた喜びに満ち溢れているようだった。