箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
元日本代表から“30歳で箱根駅伝”に 渡邊和也が東国大で過ごした波瀾の4年間「選手として終わりなのかな」
posted2021/04/06 11:01
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
AFLO
山陽特殊製鋼、四国電力、日清食品グループと実業団の強豪チームを渡り歩き、世界陸上にも出場した渡邊和也が、最後に選手生活を送ったのが東京国際大だった。4年前、指導者を志して29歳で入学し、この春に卒業を迎えた。
「選手としては結果を残すことが大前提にあると思うので、今までは自分のことばかりを考えて競技をしていました。でも、大学では目線が変わったというか、一歩引いて、周りのことを考えたり、チームの雰囲気を見たりするようになっていました。
教員免許も無事取得することができたし、4年間の大学生活はプラスしかなかったと思っています。
もちろん若ければ若いほうがいいと思うんですけど、29歳からでもチャレンジはできた。いくつになってもチャレンジはできるよ、っていうことは伝えたいですね」
高校卒業から11年後に大学へ進学
“オールドルーキー”などと使い古された肩書きが付くこともあったが、渡邊にとって4年前の決断は決して遅過ぎたわけではなかった。
「高校の頃から、将来は指導に携わりたいなと思っていて、当時も大学進学を考えたことはあったんです」
渡邊はそう振り返るが、高校卒業時は“強くなるため”と判断し、すぐに実業団に進むことを選んだ。
結局、高校卒業から11年後に大学に入学することになったが、その間に1500mで日本歴代2位(当時)となる3分38秒11をマークし、5000mでは日本代表にまで上り詰めた。
その一方で、2度の移籍を経験し、数々のケガにも苦しんだ。また、2008年の日本選手権では1500mで北京オリンピック出場がかかっていたが、先頭を走りながらもフィニッシュ直前に転倒し出場を逃すという悔しさを味わっている。
決して順風満帆だったわけではない。酸いも甘いも噛み分けた約10年間の実業団選手時代だったが、それらの経験は、指導者を志す渡邊にとって大きな財産になった。