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“アジアの壁”井原正巳が振り返る<16歳の冨安健洋に福岡で初めて会った日>「僕が柱谷哲二さんから学んだように…」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/03/25 11:02
2015年シーズン、アビスパ福岡。16歳だった冨安健洋は井原正巳と出会う。天皇杯でスタメン起用される
井原 その時点で僕の去就がどうなるか決まっていなかったんですけど、アビスパの監督を続けられるのであれば、まだ教えたいことはありましたし、一緒に戦いたいという思いはありました。ただ、冨安はオリンピック出場を目指すうえで、海外で揉まれて成長したいという思いが強かったので、彼の決断に委ねるしかないなと。冨安が抜けるのは戦力的にすごく痛いですけど、19歳という若さで海外にチャレンジする機会を得たのは素晴らしいこと。僕自身は海外にチャレンジするチャンスなんてなかったですから。彼の目標は日本代表で活躍することであり、世界規格のセンターバックになること。この年齢で海を渡るのは、その目標に近づくことになるので、「じゃあ、頑張ってこい」と、快く送り出しました。
冨安は一発ギャグで笑わせていた
――冨安選手は寡黙で、おとなしい印象があります。今でこそシント=トロイデンは日本人選手が多いですが、冨安選手が移籍した2018年1月当時、シント=トロイデンには日本人選手がひとりもいませんでした。チームに馴染めるかどうか心配ではなかったですか?
井原 いや、物怖じするようなタイプではないので、心配はなかったですね。冨安はバカもできると言いますか(笑)、アビスパでも先輩たちから言われて、一発ギャグをやって笑わせていましたから。誰からも愛されるタイプと言いますか、そういうところは海外向きかなと。それより心配だったのは、ケガで出遅れたこと。プレーオフの名古屋戦にケガを押して出場してくれたので、移籍当初はリハビリをしなければならなかったんですよね。それは申し訳なかったなと。早くケガを治して、いいスタートを切ってほしいと思っていました。
――最初の半年は試合に出られませんでしたが、次のシーズンが始まるとレギュラーとなり、日本代表にも選ばれました。
井原 ベルギーで冨安の力が通用したのは嬉しかったですけど、代表は驚きましたね。ちょっと早すぎるんじゃないかと(笑)。まずはオリンピック代表でポジションを掴んで、と思っていたんですけど、それを飛び越えて代表に入って、活躍までして。吉田麻也をはじめ、代表選手から多くを学び、どんどん吸収していったんだろうなと思います。
――森保監督と井原さんは“ドーハの悲劇”で知られるオフトジャパンの盟友でした(※井原さんのほうが1歳上)。井原さんから森保監督に、冨安選手を推薦するようなことはあったんですか?
井原 いや、推薦はないですけど(笑)、どんな選手なのか伝える機会はありましたね。
(【続きを読む】“ドーハ組”井原正巳が選ぶ日本代表史上最高のセンターバックは誰?「冨安健洋には“この3人”を追い抜いて欲しい」 へ)
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