サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
“アジアの壁”井原正巳が振り返る<16歳の冨安健洋に福岡で初めて会った日>「僕が柱谷哲二さんから学んだように…」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/03/25 11:02
2015年シーズン、アビスパ福岡。16歳だった冨安健洋は井原正巳と出会う。天皇杯でスタメン起用される
井原 その時点で練習には何度も参加していたんですけど、最終ラインで責任を負わせるより、守備の負担を減らして思い切ってプレーさせたいと。彼の運動量や早い潰しを中盤で生かしたいという狙いもありました。
――J1に昇格した翌2016年シーズンは10試合に起用して、ボランチや3バックの一角を任せています。
井原 相手はJ1のFWですからね。まずはスピードに慣れさせる必要があった。最終ラインで起用するにしても3バックの左右なら、真ん中の選手がカバーしてくれるし、役割分担がはっきりするからやりやすいだろうと。最終的には中央をやらせたいと思っていたので、長期的に考えて段階を踏みながら起用した感じです。
“後継者”を育てたい思いはあった?
――ボランチではなく、なぜ、センターバックとして育てていこうと思ったんですか?
井原 あれだけのサイズがあって、走れる。左右どちらの足でもボールを同じように蹴れるし、DFとしてのスケールの大きさも感じました。それに、性格もDF向きなんですよ。
――と言いますと?
井原 DFって忍耐強さが必要なんです。相手の動きに合わせて常にリアクションをしていかなければならないポジションなので。冨安はそうした対応や駆け引きを我慢強く、コンスタントに続けられる。あと、性格は負けず嫌いなんですけど、それを表情に出さない。トレーニングも、試合も、どんなシチュエーションであっても、黙々とこなせるんです。
――井原さん自身、日本を代表するセンターバックでした。ご自身の手で後継者と言いますか、世界規格のセンターバックを育てたいという思いも?
井原 それはもちろん、ありました。世界で活躍するセンターバックは(吉田)麻也以外、いない状況ですから。冨安にはその可能性があると感じました。ただ、高校時代の冨安はサイズの割にヘディングがそんなに強くなくて。筋力的に未熟で、パワーが足りなかったし、ヘディングの技術自体も足りなかった。だから、毎日のように居残りで練習していましたよ。僕が見たり、コーチ陣がボールを蹴ってくれたり。冨安は真面目で、本当に練習の虫なんですよ。こちらがストップを掛けないと、やりすぎるくらい練習熱心。練習後、筋トレルームでひとり残って、補強をしていたりする。冨安というと、その姿を思い出しますね。
「僕が柱谷哲二さんから学んだように…」
――19歳になる年である2017年シーズンになると、いよいよ4バックのセンターバックに指名し、シーズンを通して起用しましたね。