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「黒人には無理」と言われて“本塁打王”になったハンク・アーロンがキング牧師に言われた一言とは?【追悼】
posted2021/01/26 17:00
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph by
KYODO
何も知らなかったんだな、と今さらながら実感する。
1月22日金曜日に亡くなられた、ハンク・アーロン氏のことである。
その名をしっかりと認識できたのは1977年、王貞治氏(当時巨人。現ソフトバンク球団取締役会長)が、アーロン氏の通算755本塁打の記録を抜いた時のことだ。
実はそれより3年前の1974年、ベーブ・ルースの旧記録(=通算714本塁打)を破ったばかりのアーロン氏が同年秋の日米野球の際に来日し、王氏と本塁打競争(アーロン氏が10対9で勝った)を行っているのだが、当時はMLBにもメジャーリーガーにもあまり興味がなかったので記憶が薄い。
その後もアーロン氏と王氏の親交は続き、お互いに少年野球の世界的な普及活動を行っているニュースや、2人が共演した缶コーヒーのCMが流れた(1990年?)お陰で、日本国内のアーロン氏への認識はさらに高まった。
2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝で始球式を行い、当時の日本代表監督だった王氏と談笑をしている姿は、特に印象に残っている。当時の特集番組でアーロン氏が「サダハル・オーは素晴らしい人格者であり、本塁打競争をして以来の友人なんだ」と語っている映像を見た後、何とも言えない親愛の情が湧いたのを覚えている。
私にとってのアーロン氏のイメージは、いい意味で「親日派の本塁打王」だけだった。
父親から「黒人には無理なんだよ」
1935年にベーブ・ルースが残した714本塁打のMLB最多記録を破ったとき、アーロン氏のもとには数え切れない脅迫の手紙が送られたというエピソードがある。有名なことなので、私も知ってはいたが、ただの遠い昔の出来事に過ぎなかった。
それもそのはずで、「ルースは野球が国民的娯楽と言われた時代の英雄で、黒人が記録を破ることは許されなかった」とか、「逆境に打ち勝って樹立された本塁打記録だった」という分かり易い説明に落ち着いてしまうため、それ以上は考える必要がなかったのだ。
彼が亡くなった22日の午後、アーロン氏を偲ぶ特別番組を見て、そんな考えがあまりにも単純すぎたことを思い知った。