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【伝説の1992年日本シリーズ】第7戦の朝、ヤクルト・岡林と西武・石井が「身体は限界」のなか考えていたこと
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byNaoya Sanuki
posted2021/01/26 11:01
西武・石井丈裕とヤクルト・岡林洋一は日本一をかけた一戦を前に何を考えていたのか
身体は限界でも“オレがやるしかない”
「先発を告げられたのは当日の朝でした。たぶん、首脳陣も迷っていたんじゃないですかね。もしも投げられるのならば西村が行くべきだったと思います。でも、西村はまったく投げられない。第7戦の先発は当日の朝に告げられたけど、“自分が投げるしかないだろう”という思いはあったから、驚きはしなかったです。短期決戦でここまで来て、“心の準備がどうのこうの”と言っている場合じゃなかったですし……。でも、身体はもう限界でした。ふくらはぎはパンパンで走ることもできない。いや、足も、腰も、腕も、全部が悲鳴を上げている状態です。ろくにウォーミングアップすらできないんですから仕方ありません。でもね、こんな状況であろうと何であろうと“ダメです、投げられません”って言うピッチャーなんていないですよ。嬉しい? ……いや、嬉しかったかどうかはわからないです。でも、“自分が行くしかない、オレがやるしかないんだ”、そんな思いが強かったことは覚えていますね」
シリーズ3度目の先発登板だった。
初戦は延長12回を1人で投げ切った。2度目の登板となったのは中4日で迎えた第4戦。このときも8回を1人で投げ抜いたが、味方の援護がなく秋山幸二のソロホームランの1点で敗れ去った。そして、中3日で迎えた第7戦。3度目の指名を受けた。
すべての人の期待を背負って、岡林がマウンドに上がる。
先発前夜は興奮のために寝つけなかった石井丈裕
石井丈裕はほとんど眠れずに朝を迎えていた。
第7戦の先発を言い渡されたのは、前日の第6戦の試合前のことだった。ちょうど28歳の誕生日を迎えたこの日、石井は重要な任務を託された。
予期していたこととはいえ、その瞬間から石井の気持ちは昂っていく。
普段から先発前夜は興奮のために寝つけなかった。だから、先発前々日はあえて一睡もせずに過ごし、先発前日は強制的に眠れるようにしていた。しかし、短期決戦においては、いつ自分が投げるのかは明確ではなかった。
スポーツ新聞紙上では「第7戦は石井」という文字が躍ってはいたが、状況によってはいつ投げるのかまったく予断を許さなかった。そして、ついに第7戦の先発が告げられた。もはややるしかなかった。この日も「明日に備えて」と布団に入ったものの、やはり寝つきは悪かった。
外出禁止だったにもかかわらず、直前合宿の舞台となった東京プリンスホテルから抜け出しパチンコ屋に足を延ばした。しかし、パチンコ玉をはじいていてもプレッシャーは少しも軽くはならない。もはや、開き直るしかなかった。