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【伝説の1992年日本シリーズ】第7戦の朝、ヤクルト・岡林と西武・石井が「身体は限界」のなか考えていたこと
posted2021/01/26 11:01
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
Naoya Sanuki
※本稿は『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)の一部を抜粋、再編集したものです。
(はたして、今日は誰が投げるんだろう?)
決戦の日の朝、岡林洋一はそんな思いとともに目覚めた。
前日の試合前はもちろん、第7戦開催が決まった試合後も「明日はお前だ。頼むぞ」という言葉は誰からも聞かれなかった。新聞紙上でも、夜のスポーツニュースでも、「第7戦は岡林」と報じられている。しかし、当の本人にその通達はない。
チーム事情を考えると、もはや投げられるのは自分しかいない。それでも、野村克也監督からも、石岡康三投手コーチからも何も言われていない。
(オレは今日、投げるのだろうか……)
そんな思いで神宮球場に着くと、石岡がやってきた。
「今日は頼むぞ」
マスコミ報道通り、やっぱり自分が投げるのだ。意気に感じた。しかし、身体は思うように動かない。はたして本当に投げられるのだろうか?
……いや、泣いても笑ってもこれが最後の試合だ。
0勝4敗の不安も抱いたが、第7戦までもつれ込んだ
戦前には「0勝4敗で敗れ去るのではないか」と不安を抱き、「せめてセ・リーグ覇者としての意地を見せたい」と考えていた。
しかし、3勝3敗と五分の成績で最終戦までもつれ込んだ。投げられるのかどうかではない。投げねばならぬのだ。他に誰もいない以上、自分が投げるしかないのだ。
ペナントレースでともにローテーションを守り続けた西村龍次はまったく投げられない。シーズン終盤まで奮闘した内藤尚行もひじの痛みに苦しんでいる。年齢は下だが、先にプロ入りして実績を上げていた川崎憲次郎は故障のためにベンチ入りすらかなわなかった。
投げたくても投げられない仲間たちの無念は痛いほどわかる。
どこまで投げられるのかはわからない。それでも、全力を尽くしてマウンドに上がるしかないのだ。誰かが投げねばならない。期待の人が自分ならば、古田敦也のミットめがけて、全力投球を続けるしかないのだ。