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原辰徳「桑田は若いけど放っておいてもやる人間」 “1987年の桑田真澄”、恐るべき19歳を振り返る【巨人コーチ就任】 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/01/22 17:02

原辰徳「桑田は若いけど放っておいてもやる人間」 “1987年の桑田真澄”、恐るべき19歳を振り返る【巨人コーチ就任】<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1987年の日本シリーズ、西武対巨人。前日ブルペンで投球練習をする19歳の桑田

「速球の投げっぷりをみていると、トム・シーバー(メジャー通算311勝右腕)を彷彿とさせる。体つきまで似ている。どっしりとした足腰、マウンドの蹴りかた、態度までがそっくりだ。物静かで堂々とした落ち着きがある。先輩の山倉が出すサインに首を振る度胸もある。日本の若いピッチャーがあそこまでやるのはなかなかだ」

 クロウは言う。「どこかの大リーグチームで桑田を育ててみたいものだ。きっと大物ピッチャーになる」と。原も冒頭の堀内との対談で「三塁から見てると、腕の振りが素晴らしいですよね。ビュッとしなる感じ。だからあの小さな体で速い球が投げられるんでしょうね。腕の振りは今、12球団ナンバーワンじゃないっスか?」なんて絶賛した。百戦錬磨のチームの主力打者たちも脱帽する圧倒的な実力。87年の桑田は前半戦を12勝1敗で終えた。王巨人の球宴前の貯金26の内、11をひとりで稼いだのが19歳の新エースだった。

 オールスター戦では因縁の清原に一発を浴び、さすがに疲れが見え始めた後半戦は5連敗という不振も味わった。それでも、最終成績は28試合、15勝6敗、防御率2.17。最優秀防御率のタイトルを獲得して、王巨人の初優勝の原動力となる。しかも、プロ2年目ながらも68年4月1日生まれという限りなく高卒ルーキーに近い年齢で、身長174cmと体のサイズに恵まれたわけでもない。そんな19歳がリーグ最多の207回2/3を投げてみせたのだ。

桑田コーチは新エースを育てられるのか?

 大活躍のインパクトは凄まじく、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、そして沢村賞を受賞。なお、この年の日本シリーズは西武・清原和博の歓喜の涙や、昭和の怪物・江川卓の現役最終登板として記憶している野球ファンも多いが、翌88年から東京ドームが開場するため50年の歴史を誇る後楽園球場の最後の公式戦でもあった。後楽園ラストゲームの日本シリーズ第5戦、東京ドーム初年度の開幕戦、その両方の先発マウンドに上がったのは19歳から20歳になる頃の桑田である。

 恐るべき十代が江川からエースの座を奪い、リーグの誰よりも投げまくり、1年目の屈辱からの華麗なる逆襲を見せた、「1987年の桑田真澄」の衝撃――。

 そして2021年、52歳になった桑田は62歳の原監督のラブコールを受け、投手チーフコーチ補佐として15年ぶりに巨人のユニフォームを着る。

 令和の巨人軍では、背番号18を絶対的エースの菅野智之が継承している。今オフにはメジャー移籍が再び話題になるであろう菅野は、偶然にも87年の江川卓と同じく今年32歳だ。果たして、桑田コーチは誰に何を言われようが揺るがない断固たる意志を持って、菅野の座を脅かすような、いやその座を奪い取るような煌めく新エースを育てられるのか? 

 そう、あの頃の桑田真澄のように、である。

 See you baseball freak……

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