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原辰徳「桑田は若いけど放っておいてもやる人間」 “1987年の桑田真澄”、恐るべき19歳を振り返る【巨人コーチ就任】
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2021/01/22 17:02
1987年の日本シリーズ、西武対巨人。前日ブルペンで投球練習をする19歳の桑田
なおこの年の5月21日、ザ・ブルーハーツが1stアルバム『THE BLUE HEARTS』で世に出て、5月25日には長渕剛がシングル『ろくなもんじゃねえ』を発売。一方でジャパンマネーの勢いは加速して、安田火災がゴッホの「ひまわり」を58億円で落札、ヤクルトには現役バリバリの大物大リーガー、ボブ・ホーナーがやってきた。写真週刊誌は最大5誌も乱立し、芸能人も野球選手も四六時中カメラに追いかけ回される日々。そんな狂熱の時代に桑田は肩に不安を抱える江川卓に代わり、大黒柱の活躍を見せ、開幕からただひとり中5日でフル回転する。7月8日、札幌・円山球場での広島戦では156球の初完封に加え、プロ初アーチとなる3ランを含む猛打賞でチームの全得点を叩き出す4打点のワンマンショー。20年ぶりに十代での二ケタ勝利を達成した。
桑田は甲子園で歴代2位タイの通算6本塁打を放ち、86年11月発売の『Number』159号インタビューでは目標にする選手像を聞かれ、「笑われるかもしれませんが、5年目までに2ケタの勝利をあげ、打率が3割、ホームランを10本打てる投手です」と堂々と宣言している。早すぎた二刀流の可能性すら漂わせる野球の申し子(実際に晩年の打者・桑田は毎年のように打率3割前後を記録し、02年の代打起用は今でも語り草だ)。
原辰徳「12球団ナンバーワンじゃないっスか?」
勝負の夏場、肉体改造で夏用のユニフォームもワンサイズ大きくなり、この7月には3完投2完封で自身初の月間MVPを受賞。後楽園の売店では、3000円の18番応援ハッピが飛ぶように売れた。巨人史上最強助っ人のクロマティは自著『さらばサムライ野球』(講談社)で、若手時代の桑田のバックで守った衝撃をこう書く。