甲子園の風BACK NUMBER
【狙うセンバツ制覇】東海大菅生・若林監督が貫く“昭和な指導”「選手に好かれたいと思ったことは、一度もない」
text by
上原伸一Shinichi Uehara
photograph byShinichi Uehara
posted2021/01/17 17:02
東海大菅生を率いる若林弘泰監督。秋季大会を制し、春のセンバツ出場が確実視されている
若林にとっての優しさは、選手たちが置かれた状況に同情することではなかった。「特別な夏」に最後まで試合させることであり、優勝させることだった。だが、親の心子知らずで、甲子園が全てだった選手は、なかなかモチベーションが上がらない。4回戦では戦力的には差があるチームに苦戦した。カミナリを落としたのはその試合後だ。
「お前ら、やる気がないなら、さっさとやめちまえ。悔しかったら、優勝してみろ」
これで目が覚めたか、東海大菅生高ナインは監督への反発心も力に変える。西東京大会の頂点に立つと、東東京大会で優勝した帝京高校との「東西決戦」も制し、東京ナンバーワンの称号を得た。
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「東京で一番になったので、(4回戦後に)選手に言ったことは謝りたい」
東西決戦後の優勝インタビューでは初めて選手をねぎらった。するとスタンドにいたベンチ外の選手たちから拍手が。それは選手たちが、若林監督という分厚い壁を乗り越えた瞬間でもあった。
一方で、優勝できてホッとしたという。厳しい言葉も、3年生に恩情を示さなかったことも、優勝してこそ、本当の理解を得られる。勝利が全てではないが、勝たなければ、過程は報われないのだ。
原貢、岩井美樹、山田智千、星野仙一
若林に影響を与えているのは、選手時代に出会った監督だ。
「東海大相模高では原貢さん、東海大では岩井美樹さん(現・国際武道大学監督)、日立製作所では山田智千さん、そして中日では星野仙一さんと、実績がある方ばかり。恩師には本当に恵まれましたね」
中でも巨人・原辰徳監督の父で、巨人・菅野智之投手の祖父でもある原氏と、星野氏からは感化を受けたという。
「原監督はグラウンドではものすごく怖いのですが、ユニフォームを脱ぐと別人のように気さくに接してくれまして。オンとオフの切り替えが上手な方でした。星野さんは選手をその気にさせる術を心得ていましたね。ミーティングではいつも引き込まれました」
東海大相模高では1年春からベンチ入り。秋からは投手兼外野手となり、3年夏にはエースナンバーの背番号1をつけた。甲子園の土は踏めなかったが、名門の主力であり続けた。
投手としてのピークは、本人いわく、東海大2年春のリーグ戦。防御率0.00で最優秀投手に輝いた。
「あの頃の状態が続けば、ドラフト上位指名だったでしょうね(笑)」