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巨人でやり残した“最後の宿題” 「嫌ですよ(苦笑)。すごい嫌でした」6年前に25歳菅野智之が語っていたこと
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/01/11 17:02
交渉期限までにまとまらず巨人残留が決定した菅野智之
「(原監督の甥っ子というイメージは)一生取れないと思う。でもそれが間違いなく、僕をここまでさせてくれた原動力にもなっているから」
“令和の大エース”に足りないたったひとつのこと
その後、日本を代表する投手へ駆け上がり、やがて周囲の雑音も消えていった。2021年、すでに内海哲也、杉内俊哉、澤村拓一ら入団時の先輩投手たちは引退や移籍でチームを去り、気が付けば31歳の菅野が生え抜き最年長投手である。あれから長い時間が経ったのだ。
プロ8年間で通算101勝49敗、防御率2.32。沢村賞2回、MVP2回、最多勝3回、最優秀防御率4回、最多奪三振2回……まさにタイトルコレクター“令和の大エース”菅野には何でもある。だが、“日本一経験”だけがない。巨人が日本一を勝ち取ったのはスーパーキャッチャー阿部慎之助の絶頂期、菅野入団前年の2012年が最後だ。
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19年の日本シリーズは腰痛を抱えながら第4戦に強行先発するも、7回途中4失点で敗戦投手に。昨季も第1戦で6回4失点の負け投手となりソフトバンク相手にリベンジはならなかった。自分も京セラドームでの初戦を現地観戦しながら、すでにポスティングが確実視されていた18番に対し、「本当にこれでお別れになっちゃうのかよ……」という寂しさを感じたのは事実だ。
先のことは分からないが、例え「生涯巨人」にならなくとも、将来的な菅野のメジャー移籍を応援しているファンは多いだろう。現代のアスリートとして最高峰のレベルでプレーしたいと思うのは理解できるし、新天地で環境面や好条件にこだわるのも当然だ。だって、会社員でも転職活動をする際に少しでも給料がいい会社で働きたいと思うから。プロ野球選手だって、夢じゃなく現実を生きている。
平成から令和へ元号が代わり、“阿部・内海の時代”から“坂本・菅野の時代”へと巨人も変わった。それこそ、菅野智之は長年にわたり、ひとりエースと言っても過言ではない状況で投手陣を支え続けてくれた。だからこそ、この“令和の大エース”を「巨人でやり残したことはない」という状況でアメリカへ送り出したいのだ。
個人タイトルはもう充分獲った。あとは日本一になって、さあ行ってこいと。
セ18年ぶりの20勝投手?
そして、できることなら尊敬する黒田博樹のように40歳近くになり、キャリアの集大成で古巣巨人に帰ってきてくれたら最高だよなぁ……なんて心の中で勝手に願いながら。