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内村航平「これは鉄棒に絞れという運命なのか」個人総合への未練を断ち切れたワケ
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO
posted2020/12/31 17:01
激動の1年を終え、内村は来夏の五輪にしっかりと照準を合わせている
「色々ありすぎて、どれから振り返ればいいのか」
それにしても20年は激動の1年だった。新型コロナウイルス問題により、だれも想像したことのない状況がスポーツ界を襲った。
内村は1年間の出来事を思い返しながら、「自分のことも周りのことも色々ありすぎて、どれから振り返ればいいのか」と苦笑いを浮かべながらこのように続けた。
「まず、年が明けてからコロナの問題が出て、東京五輪をできるかできないかという状況になり、そこまではすごく長く感じていました。でも、(3月下旬に)今年は開催できませんと決まってからは、すごく早かった。大会が全部中止になっていって、練習もできない時期があり、気づいたらもう9月くらい。そして、今に至るという感じです」
鉄棒に絞るか…オールラウンダーとしての誇り
1月から3月ごろまでの間を長く感じていたという背景には、個人的な事情がある。内村は両肩に痛みを覚えて19年世界選手権代表入りを逃し、その後も肩の状態はあまり改善されなかった。
20年の年明けはオーストラリアで合宿を張りながら、東京五輪に向けてどのような戦略を立てていくべきか、悩みに悩む日々が続いた。肩の痛みとつきあいながら6種目の個人総合にこだわっていくべきか、肩痛への影響がない種目別の鉄棒に絞るか。オールラウンダーとしての誇りを持つ内村にとって、それを秤にかけること自体が苦しかった。
するとちょうど同じ時期に、世の中を激変させていったのが新型コロナウイルス感染症拡大問題だった。当初は不気味さが先行している感が強かったが、日本国内では2月上旬に新型コロナウイルス感染者を乗せた「ダイヤモンド・プリンセス号」が横浜港に停泊してから一気に風向きが変わった。2月下旬になると今度は欧州で問題が深刻化し、それから間もなく米国で感染者が激増。その後は世界中で感染者数が拡大していった。