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【命日】「なんとしても星野監督を日本一に」楽天“マギー&ジョーンズ”が語る《2013年奇跡の優勝秘話》
posted2021/01/04 11:04
text by
ブラッド・レフトンBrad Lefton
photograph by
Naoya Sanuki
2013年の日本シリーズ第7戦の9回、前日160球を投げたエースを闘将が送り出す。楽天を支えた両助っ人が伝説の舞台裏を明かす。
【初出:Sports Graphic Number 1016号(2020年12月3日発売)「星野仙一 マギー&ジョーンズが語る2013年の奇跡」/肩書などはすべて当時】
メジャー25年で合わせて3046試合に出場した2人の助っ人には、楽天時代にもらった一生の宝物がある。
アンドリュー・ジョーンズとケーシー・マギーは、ともに2013年に楽天の一員となった。就任3年目の星野仙一監督が、66歳で初めて日本一になったシーズンだ。日本シリーズを終えて、2人の貢献に感謝を示すために、指揮官から高級腕時計が贈られた。
マギーが言う。
「今でも、見ると胸が躍りますね。裏面に私の名前が彫られ、文字盤には日の丸を思わせる赤い石の下に監督の背番号77が彫ってあります。『サンキュー』と伝えながら渡してくれたのです。アンドリューと私は、なんとしても彼を日本一にしたかった。なぜなら彼は我々を受け入れてくれて、仲間が信頼できるように気遣ってくれましたから」
「野球人生で最も好きな監督になりました」
ただし、“燃える男”星野仙一に対する第一印象は少し違った。マギーはこう続ける。
「初めて会ったのは入団会見です。その後インターネットで彼について検索すると、ひどい動画が出てきました。審判を殴ったり、相手選手に激怒したり、迫力ある映像ばかりで、とんでもない人だと思いました(笑)。この人の下でプレーするのはとても不安でしたね」
ところが、久米島キャンプ入りしてから間もなく、マギーの気持ちが変わった。
「WBCに参加するために、アンドリューがチームを離れたので、私は一人になりました。その期間、星野監督がすごく気遣ってくれた。“助っ人”ではなく、本当にチームの一員にしてくれた。例えば特走練習の際、誰かが背後から私の肩に手を置きました。振り返ると、星野監督だった。彼は『任せるよ。十分に走ったと思ったら、もう参加しなくて大丈夫』と言ってくれました。キャンプの中盤には、監督室に呼ばれたこともあります。結果が出ていない私に『気にするな。どうなってもお前に頼むから、リラックスして自分なりの野球をしてほしい』と。時間の経過とともに、野球人生で最も好きな監督になりました」
ジョーンズも同じ意見だ。