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【24年目の真相】落合博満が雲隠れした“空白の1日”…清原和博の巨人FA移籍の裏で何が起きたのか
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph bySANKEI SHINBUN
posted2020/12/25 17:04
1996年11月28日、巨人退団を発表した落合博満内野手(右)と長嶋茂雄監督
「分かったオチ……望みは伝える」
「分かったオチ……望みは伝える。だから長嶋監督と会ってくれ」
武上コーチは落合の要求を伝えることを約束した上で、直接、長嶋監督と会談をして騒動に終止符を打つように説得した。
そうして翌27日に落合と長嶋監督は直接会うことになった。約4時間に渡り2人は腹を割って話し合い、騒動は終結へと向かうことになる。
11月28日。東京・大手町の読売新聞本社を訪ねた落合は、渡邉社長に退団を申し入れて、これを了承されて自由契約となった。そしてその夜には東京・紀尾井町のホテルニューオータニで退団の会見を行った。
「昨日、監督とは3、4時間話をいたしました」
会見で落合はこう切り出した。
落合「オレはちょっと信じられなかった」
「監督との話の中では、どうしても清原くんと競合する。ベンチに座っている回数が多くなり、代打という形になる、ということでした。私と清原くんの問題で監督の悩む顔をこれ以上見たくない。そう言って身を引かせてもらいました」
隣には長嶋監督が苦渋に満ちた表情で座っていた。
「なんであの席に長嶋さんがいたんだか。オレはちょっと信じられなかった」
後に落合がこう述懐するのを聞いた。
このとき、筆者は取材現場を離れていて会見場にはいなかったが、テレビ越しに観た壇上の長嶋監督の苦しげな表情は忘れることができない。
「3年間、チームの推進役を担ってくれ、晩年の世界とはいえ、筋肉も若いし、本人も『オレは45歳までやる』と公言している。ただ、1つのポジションを2人で守らせるわけにはいかない。こればかりはどうにもできない。落合選手も『4番をあと3年間、務め上げる。どのチームか分からないが』と話をした。次の世界に入っても、良きお手本として後輩に伝授して、球界にスーパースターを作って欲しい」