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【24年目の真相】落合博満が雲隠れした“空白の1日”…清原和博の巨人FA移籍の裏で何が起きたのか
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph bySANKEI SHINBUN
posted2020/12/25 17:04
1996年11月28日、巨人退団を発表した落合博満内野手(右)と長嶋茂雄監督
売り言葉に買い言葉のような舌戦の応酬が続いた
結果的には清原がFA権を取得した95年は、疲労性腰痛で出遅れた上に6月13日のオリックス戦で右肩を亜脱臼。このシーズンは不本意な成績に終わったことで、FA権行使は1年後へと延期となった。
そうして96年オフに巨人の“清原獲り”が正式にスタートすると、そこで復活したのが清原へのレギュラーポジションの確約であり、そのための落合排除というシナリオだったのである。
そしてそのシナリオを清原に伝えたのが、13日の第1回の移籍交渉の席だった。
ただ8月に長嶋監督との話し合いで「来季も戦力」と告げられていた落合には寝耳に水の話であり、落合が反発したのは当然のことでもあった。
そこからは読売新聞・渡邉恒雄社長(当時)を巻き込んで売り言葉に買い言葉のような舌戦の応酬が続き、事態は混迷していく。
落合をコーチ兼任として残留させる案も
巨人側からは打開策として落合をコーチ兼任として残留させ、代打で起用していくという案も出された。しかしあくまで選手としての勝負を求める落合の考えとは平行線を辿り、時間だけが経っていく。
解決の糸口が見いだせない中で、これまで“空白の1日”と言われていたのが、落合が早朝から雲隠れしていたこの11月26日の行動だったのである。
この日、熱海後楽園ホテルを抜け出した落合が向かったのは都内のホテルだった。そこで待っていたのは、巨人移籍以来、親交が深かく、成績不振の責任を取ってシーズン終了後に退団を表明していた武上四郎打撃コーチ(故人)だったのである。
落合と会った武上コーチは、長嶋監督の苦しい立場を説明し、落合の要求も聞いた。コーチ兼任の代打要員として残留を求める巨人に対して、落合の要求はあくまで清原と選手として一塁のレギュラーを賭けた勝負をさせて欲しいということ。それが叶わないのであれば「自由契約にして他チームに移籍できるようにして欲しい」ということだった。