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【24年目の真相】落合博満が雲隠れした“空白の1日”…清原和博の巨人FA移籍の裏で何が起きたのか
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph bySANKEI SHINBUN
posted2020/12/25 17:04
1996年11月28日、巨人退団を発表した落合博満内野手(右)と長嶋茂雄監督
長嶋監督の思いを受け止めた落合
自らが乞うて、三顧の礼をもって迎え入れた落合を、自らの手で退団へと追い込むことになった。その苦渋をにじませながら、長嶋監督は語り、落合を送り出したのだった。
長嶋監督の思いを知り動いた武上。長嶋監督がすべてのことを了承していることを知りながら、その思いを受け止め最後は自ら身を引く決断をした落合。そして最後の最後まで騒動の収束へと実効的に機能できなかったフロントの失態。この異例の監督同席の退団会見が、その全てを象徴しているようにも見えた。
退団が決まった落合にはすぐさまヤクルトの野村克也監督と日本ハムが獲得を表明。最終的に落合は年俸3億円の2年契約を提示した日本ハムへの移籍を決めて再出発への道を歩み出す。
そして不本意だったかもしれないが、落合を追いやることで、念願の巨人移籍を決めた清原にとってもまた、ここが安住の地ではなかった。
「巨人での夢は終わり、これからは野球の夢に向かってやっていく」
9年後の2005年オフ、巨人から戦力外通告を受けた清原はこう語り、オリックスへと移籍することになる。