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藤原恭大、2年前に掲げたトリプルスリーに「絶望はしてません」大阪桐蔭で一番の負けず嫌いが見据える先
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byJIJI PRESS
posted2020/12/14 11:00
プロ3年目となる来季へ抱負を語った藤原。プロの壁を感じたとしながらも、言葉の端々には「自信」が窺えた
壁にぶち当たった1年目「二軍に行きたいな」
その藤原も、高卒1年目だった昨年は、一軍の壁に跳ね返された。
注目のドラフト1位ルーキーは、昨年の開幕戦に1番・センターで先発出場を果たし、4打席目にショートへの内野安打でプロ初ヒットも記録したが、その後、苦しんだ。
「もう二軍に行きたいな」
そう思っていたと振り返る。6試合に出場し、19打数2安打、打率.105という成績で4月7日に登録抹消となった。
大阪桐蔭時代からずっと“負けず嫌い”
スピードや肩の強さなど藤原は多くの能力に恵まれているが、一番の才能は“負けず嫌い”かもしれない。
2年前、藤原は大阪桐蔭の“最強世代”の中で4番をはり、甲子園春夏連覇を達成した。当時、大阪桐蔭の主将を務めていた中川卓也(早稲田大)は、「この代は本当にみんな負けず嫌いなんですけど、その中でも一番は、間違いなく藤原」と話していた。
ただのジャンケンでも、負けたまま終わるのは我慢できず、勝つまでやった。
早くから高卒でのプロ入りを目指したのも、その負けず嫌いを活かせると考えたからだ。「自分は厳しい環境で、自分よりも上の選手とやることで、より自分の力を伸ばせると思う」と話していた。
中学時代に枚方ボーイズ、高校に大阪桐蔭を選んだのも、あえてレベルの高い、競争の激しい場所に身を置くためだった。藤原の父・史成(ふみあき)さんはこう話していた。
「恭大はもともととんでもなくうまいわけじゃなくて、小学生の時にオリックスジュニアに選ばれた時も、最初は真ん中ぐらいのところにいたけど、最後の解団式の時にはチームの中心になっていました。枚方ボーイズに入った時も、中川君や小園(海斗、広島)君などスター選手がいっぱいいて、うちの子は全然突出していたわけじゃなかったんですけど、努力して、上まであがっていったのはすごいなと思って見ていました」