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急逝した父に誓うJ1清水入り 早稲田が誇るパワー系ストライカー加藤拓己に鄭大世から激励メッセージ 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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posted2020/11/19 17:01

急逝した父に誓うJ1清水入り 早稲田が誇るパワー系ストライカー加藤拓己に鄭大世から激励メッセージ<Number Web> photograph by Takahito Ando

J1清水入りを発表した早稲田大3年・加藤拓己。大きく飛躍したストライカーに3年越しのオファーが届いた

怪我から始まった大学生活

 大学生活も決して順風満帆ではなかった。高3冬に原因不明の痛みに悩まされてきた左手首を診てもらうとすぐに手術が必要になり、腰の腸骨から移植する手術を受けた。復帰は入学直前の3月。だが、すぐに左足首の怪我が再発し、完全復帰するまでほぼ1年を棒に振った。試合会場では主にジャージ姿で、ビデオ係がメイン。不甲斐ない想いもあった。しかし、そんな加藤を励ましたのも清水エスパルスという存在だった。

「(強化部の山崎)光太郎さんはずっと怪我の心配をしてくれました。その優しさが嬉しかったし、大榎克己(清水GM)さんも早稲田のOBで、外池(大亮)監督(早稲田大)に僕の様子を聞いてくれていた。絶対に復帰して、大学ナンバーワンストライカーになって清水からオファーをもらいたいと強く思いました」

 大学2年の春から万全のコンディションで復帰した加藤は圧倒的なフィジカルとスピード、パワーで早稲田大のエースとしてすぐに頭角を現した。試合の度に山崎スカウトや兵働昭弘スカウトが顔を出していることも知っていた。怪我も乗り越えた加藤はただひたすら自分の目標を邁進する日々を過ごしていった。

清水から練習参加のオファー、しかし……

 待望の知らせは忘れもしない、2019年12月20日の夜。外池監督経由で清水から“2度目”の練習参加のオファーをもらった日だ。

「大学選抜の関係もあって、キャンプは厳しくて、3月の練習参加という形でしたが、本当に嬉しくて。もうそこで正式オファーを勝ち取るつもりで、万全の状況で臨もうと思った。親父にはこの一報が来る前に電話で会話していたので、落ち着いたら電話をしようと思っていた」

 だが、予期せぬことは続く。その日の深夜、父は帰らぬ人となった。出張先で倒れ、そのまま運ばれた病院で息を引き取ったのだという。

「深夜3時くらいに電話で訃報を聞きました。僕も20歳になって、ようやく大人の話をできるようになっていた。親父もこれから僕に伝えたいこともたくさんあったはず。それを聞くこともできず、相談することもできずにいなくなってしまった。その親父が『清水はいいクラブだぞ』と言ってくれたし、空からでも僕が清水のユニフォームを着てプレーしている姿を見てもらいたいと強く思いました」

【次ページ】 「持っている力を最大限、清水に還元したい」

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