“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
急逝した父に誓うJ1清水入り 早稲田が誇るパワー系ストライカー加藤拓己に鄭大世から激励メッセージ
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/11/19 17:01
J1清水入りを発表した早稲田大3年・加藤拓己。大きく飛躍したストライカーに3年越しのオファーが届いた
憧れの鄭大世に質問攻め
進学とプロという夢の狭間で揺れていた夏、加藤の下に清水から練習参加の打診が届いた。1週間と短かったが、憧れ続けた鄭大世と初対面が実現するなど、プロの世界を初めて味わうことができた。
「初日の練習で僕は角田(誠)さんを背負おうとしたら、思いっきり吹っ飛ばされたんです。なのに、テセさんは角田さんを片手で完全に押さえ込んでいた。それが衝撃的すぎて、練習後にテセさんに直接聞きに行ったんです」
無名の練習生が初日に大ベテランの選手に教えを求めに行く。普通であれば怯んでしまうシチュエーションだが、加藤の心にそんな思いは微塵もない。
「ずっとテセさんのプレーを見続けていたし、清水に移籍してからJ2降格を味わっても、移籍せずに1年でJ1に戻した。昇格が決まった時に流していた涙も観ていたし、本当に自分を奮い立たせてくれる存在であることに変わりはなかった。清水の練習に参加する話をもらった時は、もうテセさんに会えることが楽しみで仕方がなかった。1分、1秒も無駄にしたくなかったんです」
実直にぶつかってくる後輩に、鄭大世もすぐに心を開いた。
「すみません、練習生の加藤拓己と申します。1つ質問をさせて下さい。テセさんは相手を背負う時、どういうタイミングでやっているんですか?」
「お前は自分の武器に頼りすぎているぞ。フィジカルにものを言わせて背負うことに全力を尽くしているから、次のプレーに強度が出せていない」
アドバイスはそこから1時間以上続いたという。
「テセさんは自分みたいな練習生のプレーもしっかりと見てくれていた。僕のプレーも分析してくれていて、『相手の懐に潜る時に重心が高い』など、疑問に対してスラスラと答えが出てくるんです。あとは気持ちの部分。『感情的にならずに、その瞬間、瞬間で相手をしっかりと見て判断しろ』と。こんなに見てくれて、親身になってくれるんだと驚きました」
加藤はそこから毎日のように鄭大世と話をした。飲水タイムのちょっとした時間でも鄭大世から駆け寄って熱心に指導することもあった。
早稲田大進学を決めた父の言葉
貴重な1週間で得たものを山梨に持ち帰った加藤だったが、前述の通り、清水の回答は「獲得見送り」。この年の清水は西村恭史(興國高)、高橋大悟(神村学園高、現・ギラヴァンツ北九州)を獲得。ユースから平墳迅、伊藤研太、滝裕太の3人が昇格していた。クラブの方針としても、高卒選手をこれ以上獲ることはできなかったのだ。
「両親とすぐに相談しました。親父からは『プロになれなかったんだから、もう1回修行をし直す必要があるんじゃないか。そう考えたら(これまで熱心なオファーをもらっていた)早稲田大学は最高の環境じゃないか。早稲田で修行を積むのは、プロになるための正しい道なんじゃないか』と言われました。本当にその通りで、自分がもっと圧倒的な選手だったら、5人が決まっていても獲ってくれると思いますし、そもそも優先順位が上位にいる存在にならないと意味がない。じゃあ、4年後に誰もが獲りたがる選手にならないといけない。むしろ4年後と言わず、3年で特別指定選手になるという思いが強くなったんです」
加藤は清水の返答を受けた2時間後、早稲田大へ進学する決意を固めた。父親が最後につぶやいた言葉も加藤の背中を押した。
「俺は拓己が大学ナンバーワンFWとしてJ1クラブから引く手数多な選手になるところを見たい。清水からもどうしてもほしいと言わせる選手になってほしい」
大学進学の目標が明確になったことで、プロ入りの思いは一層強くなった。
「そもそもテセさんから学ぶ環境を与えてくれたのは清水。感謝しかありませんし、ずっと特別なクラブだった」