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【引退】中村憲剛が「タイトルを獲れない最大の原因は自分」と悩んだ日 悔しさこそ原動力だった

posted2020/11/02 20:00

 
【引退】中村憲剛が「タイトルを獲れない最大の原因は自分」と悩んだ日 悔しさこそ原動力だった<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

MVPを獲得した2016年の1枚。栄光はキャリア終盤に巡ってきたが、フットボーラー中村憲剛の土台には、何度も味わった悔しさがあったのだ

text by

いしかわごう

いしかわごうGo Ishikawa

PROFILE

photograph by

Kiichi Matsumoto

 Jリーグ史に名前を残す偉大な選手であるのは間違いない。

 Jリーグベストイレブン受賞は8度。2016年にはJリーグMVPに輝いた。翌年2017年はJリーグ初優勝、翌々年の2018年はリーグ連覇、そして昨年2019年はルヴァンカップを初制覇した。ここ4年は、毎年何かしらのタイトルを獲得し続けている。2020年も首位を独走し、優勝のカウントダウンも始まりつつある。

 でも、なぜだろうか。

 クラブの顔である中村憲剛というプレーヤーの輝かしい歴史を思い返したとき、自分の脳裏に蘇ってくるのは、彼が悔しい思いをしていた記憶ばかりだ。

 キャリアの中で初めてJ1で優勝争いをしたのは2006年である。この年はリーグ2位に終わったものの、「もう優勝できるな」と思っていたという。

10年もの間、あと一歩届かなかった

 ところが、そこから頂にたどり着くまでが長かった。

 07年はナビスコカップ(現在のルヴァンカップ)で準優勝。その後は08年、09年とリーグ2位を3度も経験した。特に09年は、国内三冠だけではなく、ACLを含めた四冠の可能性を秋まで残しながらも、リーグとナビスコカップともに準優勝に終わった。

 結局、ルヴァンカップ(ナビスコカップ時代含む)の準優勝が3回、天皇杯も準優勝1回。クラブの悲願であるタイトル獲得には、どうしてもあと一歩届かない。なぜ優勝できないのか。準優勝ばかりを味わい、その原因を追い求めるキャリアを過ごしていた。

 とりわけ忘れられないのは、2017年のルヴァンカップ決勝戦の光景だ。

【次ページ】 「憲剛のためにタイトルを」という重荷

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