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【巨人連覇・強さの根源】菅野智之が乗り越えた“原家の呪縛”と「最大の欠点」とは
posted2020/11/01 06:01
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
KYODO
10月30日にセ・リーグ連覇を果たした読売ジャイアンツ。選手、指導陣ともに噛み合った戦いぶりが印象的だった。その象徴的なシーンや指導法を扱ったコラムを再配信する。(初公開:2020年10月9日)
「いつか原辰徳監督の甥ではなく、菅野智之の伯父が原辰徳監督だと言われる投手になりたい」
1年間の浪人生活を経て、晴れてドラフト1巡目指名で巨人入団が決まった直後に、菅野智之投手が語っていた“目標”である。
アマチュア球界の巨星・原貢の孫にして、現役時代は巨人の4番を張り、現巨人監督でもある原辰徳の甥っ子。菅野が小さい頃から常に背負ってきた原家の呪縛。
「そりゃあ家族が集まれば私と辰徳は野球の話ですよ。それで朝起きれば、それランニングだ、暇があれば腹筋をしろと。それが終わったら、食事の前に宿題だと。そういう感じになる」
こう語っていたのは幼かった菅野を投手の道へと導いた貢さんだった。
「オマエさんは投げることしかできないよ」
「トモは子供の頃はバッティングが好きで内野ばかりやっていた。でも、ひょろひょろっと身長ばかりが伸びて、膝がエックス脚だったんです。内股というのは、力がきちっと入ればいいんだけど、その力が入りにくい。しかもあの子は膝の関節と股関節が固かったから、内野手には向かなかったんです」
ただ、その一方で目をつけていたのが手首の柔らかさと指の長さだった。
そこで貢さんはことあるごとに菅野にこう話したという。
「いつも“オマエさんは(本格的に野球をやるなら)投げることしかできないよ。一生懸命ピッチャーの練習をしなさい”と言って、投手に専念させたんですよ」
そうして相模原市の新町中学校に入学した菅野は、その日に頭を坊主にして本格的に投手として野球に取り組む決意をした。