SCORE CARDBACK NUMBER
「自分で海外へチャレンジを」
パイオニア堀江翔太のエール。
posted2020/08/30 08:30
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph by
Nobuhiko Otomo
3月以降、主を失っていた秩父宮ラグビー場の芝は美しく輝いていた。そこに現れたのは歴代のサンウルブズ戦士たち。参戦元年にチームを率いた堀江翔太、立川理道やヴィリー・ブリッツら主将経験者、ラグビー王国のハイランダーズ、チーフスでの経験を持ち帰った田中史朗、リーチマイケル、そしてラストイヤーの狼軍に加わった布巻峻介や齋藤直人ら17人が、感染予防のため間隔をあけてピッチに整列した。
8月8日に行われた、サンウルブズのメモリアルセレモニー。スコアボードには5年間の思い出の場面が次々と映し出された。トークショーでは、駆けつけた狼たちがサンウルブズの思い出を語り、魅力を語った。
多くの選手が「サンウルブズなくしてW杯8強はありえなかった」と言った。赤道をまたぎ、地球を半周するツアーを何度も繰り返しながら、毎週世界のトップ選手と身体をぶつて培ったタフさ。たとえ負けてもすぐ次の試合に向けて頭を切り替える力。相手ごとに異なるゲームプランを短時間に咀嚼して本番に活かすスタンダードも、サンウルブズで重ねた実験から日本代表に引き継がれた。
恵まれていないように見えてもチャンスはある。
そのサンウルブズがなくなると、日本の若い選手が世界レベルを経験できるチャンスを失ってしまう。何とか残す道はないか? NZや豪州で検討されている後継リーグにサンウルブズを推す声もある。だがそれを聞かれ、違う視点でコメントしたのは堀江だった。
「レベルの高いリーグにすぐに入れたらもちろんいいけど、それができないなら、自分で海外に行くのがベターじゃないっすかね。松ちゃん(松島幸太朗)はフランスに行ったし、日本ラグビーの価値は上がってるので、海外に出やすいと思う。チャレンジしてほしいな」
堀江は帝京大を卒業後にNZに渡り、カンタベリーのアカデミーで自分を磨いた。当時はプロ契約はならなかったが、26歳で再びNZに挑戦、オタゴ代表を経てスーパーラグビー、レベルズ入りを果たした。サンウルブズがない時代の挑戦だった。
一見恵まれていないように見えても、そこにはチャンスの芽がある。サンウルブズの初代主将は、消滅を嘆くより自分で道を切り開けと後輩たちにエールを贈った。明日の見えない時代に、先駆者の思いが響いた。