「マメのことは他の選手には黙ってろ」

　'57年の春。早実は「関東のホープ」「ダークホース」という評価で選抜に乗り込んだが、宮井には気がかりなことがあった。

「東京を出る時、王の指先（のマメ）が割れて心配だった」

　だが、そんな心配をよそに2年生エースの王は、初戦の寝屋川戦を被安打1、1対0と完封発進する。このときのピッチングを田村が解説する。

「右打者のインコースのストレートと大きく落ちるカーブ、昔で言うドロップが王の持ち味。今の投手で例えるなら、右ピッチャーだけどソフトバンクの武田翔太。ほんとに落差があった」

　準々決勝の柳井戦は11奪三振で無四球完封。準決勝の久留米商戦も無四球完封で、これで3試合連続完封となった。

　ところが、ゲーム後。応援席にいた王の父、仕福の準決勝後のコメントが新聞にある。

『貞治は指を痛めているから最後まで健闘してくれるかどうか』

　その夜、宿舎の山翠旅館。

　仕福が宿舎を訪ねてきて、王に漢方薬を置いていった姿を、宮井を始めとして複数人が目撃している。

　田村は大会期間中、王との2人部屋だった。

「朝鮮人参をすった薬でした。湯につけると塗った薬が流れちゃうから、王は左手を湯船から出して風呂に入っていました。『マメのことは他の選手には黙ってろ』と……」

栄冠の陰に残った血染めボール。

　決勝の相手は高知商。8万人の観衆、決勝戦が満員になったのは戦後初だったという。王は初戦からこの日の7回まで34イニング連続無失点。この試合は8回に3点を許したが、5対3で逃げ切る。最後は王の器用さが生かされた一塁牽制でゲームセットだった。

　王は新聞の手記の中で『大会前に人差し指、中指が割れて痛みが抜けなくて心配だった。8回、指の傷が気になりだした』と書いている。

　ボールが赤く汚れ、ユニフォームに血の斑点がついていたと言われているが、「ピンチでマウンドに集まってもそんな話にはならなかった。王に痛がるそぶりがなかった」と堀江。

　一方で田村は「球審に『大丈夫か』と血染めボールを教えられた」と言う。

　堀江も飯田もその手を目撃していない。「下級生だし、痛い痒いと言える時代ではなかった」（田村）。他の選手に動揺を与えることよりも、我慢強く耐え抜くことを選んだ。王の性格がもたらした栄冠だった。

【次ページ】　初優勝は投手としての最後の輝きでもあった。