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『バトルスタディーズ』の原点。
作者が語る、あの夏とPL学園。 

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2020/08/12 11:40

『バトルスタディーズ』の原点。作者が語る、あの夏とPL学園。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

『バトルスタディーズ』は暴露ではなく、なきぼくろ氏のPL学園への愛の結晶なのである。

暴力事件、出場辞退、3年生の涙。

 PLでの生活は、入学前に想像していたものを、ひとつひとつ「ホンマや。いやそれ以上やった」「まるっきりウソやん」「ああ……ほんまはこんなところもあるんやな」と答え合わせをしていく毎日。過酷な生活も3カ月が過ぎようとしていた。夏の大会が間近に迫った6月のある日。突如、PL学園が暴力事件によってその夏の甲子園予選への出場の道を絶たれる悲劇が起こる。

「あの日。薄々わかってはいたんです。部長さんに『今日ちょっと集まってくれるか』と言われた時点で、3年生が泣き出すんですよ。僕ら1年生は泣き崩れる先輩たちを見ながら、どうしていいのかわからない。家に帰ってしまったやつもいれば、それでもグラウンド整備に出て行ったやつもいて……グチャグチャでした。

 僕は小窪哲也らと『ヤバいよ。頑張らないと』と言いながらも、不安でした。次の日から新チームがはじまりますからね。その時、寮まであるOBの人が来てくれて『あえて厳しく言うけど、こういう状況でも腐らんといてほしい』とみんなに言ってくれたんです。そこから、ひとりも部員が抜けることもなく、新しい体制でイチから出直そうと誓いました。

 でも謹慎期間は心の中がグチャグチャの6カ月でした。ボールは触ったらあかん。ボランティア活動をしたり障碍者登山に行ったり、2年生はずっと泣いてはりました。こういう事件が起きてしまったら、新しいPLをつくらないかんと、下級生の僕らにもフランクに接するように心がけてくれていました。『なんで俺らだけこんなんせないかんねん』とか『なんでこんなゆるいんや』なんて口では言いながら、本当にいろいろ考えてくれていたと思います」

謹慎解除後の相手は全国制覇の報徳。

 年末になって報徳学園から「復帰の一発目はぜひうちと練習試合をやってください」と申し込みがきた。3月。謹慎解除後に行われた練習試合で、PLは快勝する。相手となった報徳学園はその直後のセンバツで大谷智久を擁して全国優勝を果たす。自分たちがやってきたことは間違いじゃない。PLが自信を取り戻すことになる勝利だった。

「そうやって新しいスタートが切れたんです。先輩たちからも『すごいな』って電話をいただいて。ただ、出場停止がニュースになったことで、外の人たちから『おまえは大丈夫だったのか?』とか聞かれて、それが悔しかった。

 みんな好き勝手言うけど。あの代はフランクで優しい人が多かった。こんなんゆうたら怒られるかもしれないですけどね」

 出場停止のニュースは、有力な新入生が入学を思い留まるなど思いもよらぬところへ影響を及ぼした。それでも謹慎が明けた2年の春季府大会は、ブランクを感じさせぬまま勝ち進み、決勝で大阪桐蔭に7-3で勝ち優勝。甲子園をかけた夏の選手権大阪大会は5回戦で大商大堺に6-7で敗れた。

【次ページ】 高校で野球は辞めるつもりだった。

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なきぼくろ
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