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『バトルスタディーズ』の原点。
作者が語る、あの夏とPL学園。 

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2020/08/12 11:40

『バトルスタディーズ』の原点。作者が語る、あの夏とPL学園。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

『バトルスタディーズ』は暴露ではなく、なきぼくろ氏のPL学園への愛の結晶なのである。

高校で野球は辞めるつもりだった。

 秋。最上級生となった新チーム。キャッチャーで入学したなきぼくろは、外野にコンバートされ、守備と小技が評価され、ライトのレギュラーを獲得する。

 2003年最後の夏。PL学園は5回戦で大阪桐蔭を破ると、準々決勝で大産大附属、準決勝で北陽を撃破。昨年の夏敗れた大商大堺との決勝戦を、5-4の僅差で勝利。3年間、波瀾万丈の高校野球。最後の最後に甲子園出場を決め、自らの夢を結実させたなきぼくろは、号泣した。

「大阪大会で優勝を決めた時には嬉しくて嬉しくて、ホンマに失神するぐらいやったんです。PLに来て、いろいろあった末に最後の年に甲子園に出場してハッピーエンドや。入学してからのことが走馬灯のように過ぎってしまってね……ってあかんでしょ。

 マンガでいうたら、デビューが決まって泣いてるようなもんです。本番が甲子園なのに、予選で泣いてるでおい! っていうね。通過点だと思っているなら涙は出ない。涙が出るってそこで終わりですよ。

 確かに僕は高校で野球は辞めるつもりでした。僕だけゴールが甲子園出場だったんです。他のメンバーは全国制覇や、その先のプロや大学というところを目標に設定していますよね。だから、メンバー内でも温度差というか、ひとり僕が満足してしまって、気持ちの面で足を引っ張っていたように思うんですよ」

喧嘩相手の「ナイスバント」に。

 夏の甲子園大会。出場辞退以来、初めて甲子園に帰ってきたPL学園は甲子園の観客に大きな拍手で温かく迎えられた。1回戦は東東京代表雪谷高校を13-1の大差で破ると、2回戦は練習試合でも勝っていた福井商業。雨の中行われた第4試合は最後ナイターの中、接戦となるも2-4で敗れる。2試合ともに9番ライトで出場したなきぼくろは、都立雪谷戦で3タコ2死球。福井商戦は3タコ1犠打。無安打で甲子園を去ることになった。

「1回戦が終わった時は、恥かいた……という感じでした。憧れの甲子園に来たのにまったく打てなかった。中学からPL学園に入る時、地元のみんなに『がんばれよ』と華々しく送り出されて、結果これかいと。むっちゃ恥ずかしくて、穴があったらもぐりたくて。

 しかもデッドボール2つ当たってちょっと貢献したと思ってる。『そやったらええやん』みたいな感覚が、PLという大きな船に乗っかってエラそうにしてるみたいで、すごく嫌でした。

 これが甲子園かと。このまま終わっていたら嫌な思い出だったかもしれません。でも、2回戦の福井商戦の逆転された直後の7回。1点差無死一塁で送りバントのサインが出たんです。それ見た瞬間、『これや!』と一気に天国までテンションあがって、ゾーンに入った気がしたんですよ。僕、3年間で一番バントを練習してきたし、誰にも負けない自信があった。その送りバントの構えをパッとした瞬間、なんや世界がスローモーションに見えてきて、妙に落ち着いたんです。一発で決めた時に、『ああなんや……。俺がやってきたのはこれやったんや』と、恥ずかしさも何も全部吹き飛んで、やっと地に足が着いた。

 その直後に小窪が同点タイムリー打ってくれて、3年間、よう喧嘩した東って同級生が『ナイスバント』言うてきたんです。涙がブワッと湧いてきて。今そんなん言うな、アホかこいつって思ったことをめっちゃ覚えていますね」

【次ページ】 「せっかくだから、ちょっとだけ泣いとけ」

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