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片目が見えなくても超ポジティブ。
松本光平、「何とかなる」の原点。

posted2020/08/06 20:05

 
片目が見えなくても超ポジティブ。松本光平、「何とかなる」の原点。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

ニューカレドニアでは屋根が藁葺きのホテルに住んでいたという松本。すべての経験をポジティブにとらえている。

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph by

Yuki Suenaga

 右目の視力をほとんど失ったフットボーラー・松本光平選手インタビューの後編です。前編「読むとなぜか元気に。失明危機のフットボーラー・松本光平の告白」は記事最終頁下の「関連記事」よりご覧ください。

 サッカーが松本光平をたくましくした。

 目がほとんど見えなくても、希望を見失うことは決してない。

 先行きが不透明でも、「何とかなる」と考え「まずはやってみる」のは少年時代から。

 いい意味でちょっとぶっ飛んでいるくらいがちょうどいいのかもしれない。

 松本光平はセレッソ大阪U-15の出身。そのままU-18に昇格予定だったのに、「ガンバでやってみたい」と一般セレクションを受けてガンバユースに異例の“移籍”を果たしている。

 だがガンバのトップチームには上がれず、大学進学も選択肢にあったなかで「早くプロになりたい」その一心で、海外へ飛び出していく。

ビザの関係で公式戦には出場できなくてもめげない。

「入団テストの情報をもらってイングランドのあるチームに行ったんですけど、話が通ってなくて受けられなくて、チェルシーのユースの二軍みたいな位置づけの『コミュニティ』というチームのテストがあったんで飛び込みで受けたんです。そうしたらフィジカルテストで全部トップだったこともあって最後まで残りました」

 しかしビザの関係で公式戦には出場することができない。

 せっかくイングランドに渡って公式戦に出られないと分かったらさすがにへこみそうなものだが、松本はまったく気にしない。英語の語学力を上げ、欧州でサッカーができるだけでも「プロへの第一歩」と捉えることができた。

 そののち日本に帰国して徳島ヴォルティス・セカンド(徳島のセカンドチーム)、ジェフリザーブス(ジェフユナイテッド市原・千葉のアマチュアチーム)と渡り歩く。しかし「ボールの扱いがそこまでうまくない分、走って体を張るしかない」というプレースタイル上、ケガが付きまとう。

【次ページ】 決めたら、すぐさま行動に移す。

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