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“J7”南葛SCで選手兼デザイナー?
楠神順平が語る葛飾と川崎への愛。
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byTakehiko Noguchi
posted2020/07/16 20:00
南葛SCで新たな夢に向かい始めた楠神順平。サッカー人生はこれからも続く。
野洲時代の後輩からの電話。
そこから年が明け、1月末になっても事態は好転しなかった。
Jリーグのチームはすでに始動している時期だ。ただチームが見つからない以上、個人でやれることをやるしかない。2月には母校・野洲高で高校生たちに混じって練習に励んだ。コンディション維持が目的だったが、コーチのような役割もしたことで、まだ先の話と考えていたはずの指導者の道が徐々に現実味を帯びてきた。
そんな折、現在J3のブラウブリッツ秋田でプレーしている田中雄大から1本の電話がかかってくる。
彼は野洲高の1学年後輩であり、川崎時代の同僚でもあった。ちなみに「高校サッカー史上、もっとも美しいゴール」とも評される野洲高が優勝を決めたゴールは、この田中によるパスカットと左足から繰り出されたサイドチェンジから始まったものだ。
「雄大から電話がかかってきて、『どうですか、チームありますか?』って。気にしてくれていたみたいです。『いや、難しいな』と話していたら、『ケンタさんが気にしていましたよ』って言われて」
「うちでよければ一緒にやりたい」
田中の言うケンタさんとは、島岡健太監督のことだ。
昨年まで名古屋グランパスでコーチをしていた島岡は、今シーズンから南葛SCで指揮を執ると発表されていた。それ以前は関西大学で長く指導してきたため、関西大出身の田中は当時の教え子だ。同志社大出身の楠神は、島岡が関西選抜を率いたチームでプレーした経験がある。ただ普段から連絡を取るほどの関係性ではなかった。
「雄大が『南葛に興味あるなら、電話してみますか?』と言ってくれたので、島岡さんと話して、そうしたら『うちでよければ一緒にやりたい』と言われたんです」
南葛の存在は、ネットニュースなどの記事で以前から知っていた。ただ、興味はあっても7部に相当するカテゴリーでプレーする決断はすぐには下せなかった。Jクラブからのオファーもギリギリまで待ちたかったため、この時は返事を保留している。しかし2月末になってもオファーは届かなかった。それから楠神は南葛入りを真剣に考え始めた。