箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「4年間見てあげられなくてごめん」
日大駅伝部、突然の監督交代の裏側。
posted2020/07/15 11:40
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
Satoshi Wada
新型コロナ禍でほぼ全ての競技会が中止となっていた5月下旬、大学駅伝の名門・日大の監督交代劇には、多くの駅伝ファンが驚いたに違いない。
36歳の若き指導者、武者由幸氏に替わって、関東学生陸上競技連盟前会長で、かつて大東大を強豪校に育てあげた77歳(当時)の青葉昌幸氏が就任したのだ。また、年度替わりならまだしも、本来ならば関東インカレで盛り上がっていたはずの時期の発表だったのだから、異例の人事だったともいえる。
近年の日大は、箱根駅伝で優勝争いはおろか、シード権さえもなかなか獲得できず、不振に喘いでいる。この10年間では2度の予選敗退の憂き目にもあった。それゆえだろうか。監督、コーチの交代が他大学に比べて多いように思う。
2000年以降の長距離部門の指導者を見ていくと、1994〜2001年にコーチを務めたのが西弘美氏、2001年から馬場孝氏、小川聡氏、2008年から堀込隆氏、2011年から鈴木従道氏、2013年から再び小川聡氏、2016年から武者氏、そして青葉氏と、実に約3年ごとに長距離部門の指導者が替わっていることになる。
名門だからこそ、ハードルが高い。
これは、かつて栄華をきわめた名門ゆえの事態、ともいえるだろう。
箱根駅伝に出場する大学は必ずしも総合優勝を目指すチームばかりではないが、総合優勝12回を誇る日大は、優勝を目指すことが宿命づけられているチームだ(日大とともに“御三家”と言われた中大や早大もそうだろう)。
しかし、昨今は多くの大学が箱根駅伝の強化に力を注いでおり、3年やそこらで結果を出すのはなかなか容易なことではない。
たとえば、今や強豪校となった青山学院大の場合、原晋監督の就任6年目に33年ぶりに箱根駅伝本大会に出場。翌年の就任7年目に41年ぶりにシード権獲得。就任11年目で総合初優勝を果たしている。もちろんこれでも順当に進んだケースだ。
監督をすげ替えたところで、すぐに結果が出るわけではない。強化とはそれなりに時間がかかるものなのだ。