箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「4年間見てあげられなくてごめん」
日大駅伝部、突然の監督交代の裏側。
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph bySatoshi Wada
posted2020/07/15 11:40
伝統のピンクの襷をもつ、日大駅伝チームで主務を務める4年生・高信清人。
後任が青葉氏だったのは幸いだった。
後任が青葉氏だったのは、高信にとって幸いだった。青葉氏は2018年度からアドバイザー的な立ち位置で日大のコーチを務めており、普段から練習の報告などでやりとりをしていたからだ。
6月1日から青葉体制がスタートすると、青葉氏は稲城にある選手寮に住み込み、選手たちと生活をともにしている。大御所ゆえに当初は選手たちは身構えていたというが、「学生たちに寄り添ってくださる方で、(良い意味で)ギャップを感じました。最初はもっと時間がかかるかなと思っていたのですが、青葉先生はまるでずっと以前からいらっしゃったかのようで、すっかり馴染まれている印象があります」と高信。
選手の立場からも、「思っていたより昭和臭いということもなく、論理的に話してくださるので、分かりやすい」と主将の川上瑠美梨(4年)が言うように、部外者は拍子抜けするほど、新体制の出発はスムーズにいっている様子だ。それに、監督が替わったとはいえ、全てがリセットされたわけではない。
日大復活の礎になる志は変わらず。
「武者さんに入部を認めてもらった時に“名門復活に貢献してくれ”と言われていたので、最低でも箱根のシード権を獲得したい。青葉先生も“100回大会で日大が優勝できるようなチームの基盤をつくる”とおっしゃっていますが、僕ら4年生中心にしっかりと名門復活の礎をつくりたい。それが、後輩にできる、最後のことだと思うので」
最後に日大が箱根駅伝で総合優勝を果たした第50回大会(1974年)から半世紀近くが経とうとしているが、指導者が誰であろうと、強かった時も、なかなか結果が出ない時も、いつの時代も学生が本気であることには変わりはなかった。成績不振の原因を指導者に求めるのは簡単だが、大学関係者にしても、我々メディアにしても、大人たちは学生が主役であることを忘れてはならないのだ。