箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「4年間見てあげられなくてごめん」
日大駅伝部、突然の監督交代の裏側。
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph bySatoshi Wada
posted2020/07/15 11:40
伝統のピンクの襷をもつ、日大駅伝チームで主務を務める4年生・高信清人。
監督交代を経験した人物から連絡が
突然の指揮官交代に最も翻弄されるのは、在学中の学生たちだ。特に、最終学年を迎えた4年生となれば、その動揺の大きさは計り知れない。
実は、日大の監督交代の報道があった日、私は1通のメールを受け取った。現在、実業団のNTT西日本でコーチを務めている野中章弘からだった。
野中はマネジャーとして日大に入学し、大学1年の途中から主務(マネジャーのまとめ役)を務め、4年間、裏方としてチームを支えた。野中の3年時までは小川氏が日大の駅伝監督を務めていたが、4年時に堀込氏に替わった。その当時を思い出し、後輩を慮って「今後も頑張っている後輩を取材してあげてください」と私に連絡をくれたのだった。
「当時の僕は、小川さんに対して強い思いがあった分、4年生になって“いざ頑張ろう”という時に監督が交代して、ふてくされた部分がありました。裏切られたっていう気分になりましたね。誰に対してというわけではなかったのですが……」
野中は当時をこう述懐するが、確固たる信頼関係を築いてきた指導者が突然替わったのだから、ふてくされるのも無理はない。
卒業から10年たち、今は冷静に振り返る。
当時の監督交代劇の背景を説明すると、箱根駅伝で優勝こそなかったものの、3位、3位、2位と好成績が続いたあと、2008年に9位と順位を落としていた。
最終区でシード権をもぎとったのは名門の意地だったが、「日大は優勝にこだわるチームですから」と野中が言うように、優勝への機運が高まっていただけに、大学の首脳陣には転落に映ったのかもしれない。
突然、指導者が替わって、戸惑いは大きかった。特に、後任の堀込氏は高校指導者からの転身で、小川氏とは指導方針が全く違っていた。練習スケジュールに意見を求められると、野中は「そのメニューは変えましょう」と異を唱えていたという。
「その後いろんな方の指導を見てきたので、今になって思えば、堀込先生のメニューも悪くなかったなと思うんです。堀込先生とは今も電話する仲ですが、“当時は生意気なやつですいませんでした”って言っています(笑)」
卒業から10年以上が経った今だからこそ、こんなふうに冷静に振り返ることができるのだろう。