熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
若きカズの戦友はブラジルの代理人。
橋本幸一が得た海外サバイバル術。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKoichi Hashimoto
posted2020/06/23 19:00
元ブラジル代表ゼ・エリアスと写真に収まる橋本幸一氏。ブラジルの地で日本サッカーに貢献しようとしている。
物を盗まれても控えだったら……。
そしてこの年の末、17歳のカズがキンゼのU-20に加わった。2人は初対面だったが、すぐに打ち解けた。
フットボール王国で日本人がプレーする難しさと苦労を語り合い、励ましあった。
当時の合言葉は、「ブラジル人にナメられないようにしようぜ」。下部組織であっても、実力の世界。チームのレギュラーなら一目置かれるが、控えなら低くみられる。
日本から持ってきたウォークマンなどの電化製品は、ブラジルで買うと非常に高価だった。寮の自室に置いておいたら、すぐになくなる。鍵付きのロッカーに保管していても、ロッカーを壊されて盗まれる。そういう場合でも、レギュラーなら皆の所持品検査をして盗品を取り戻せるが、控えならハナから取り合ってもらえない。
誰もが死に物狂いでプロを目指す弱肉強食の世界で、頼りになるのは自分の実力だけだった。
幸一は必死に練習し、U-15でもU-17でも背番号10を付けて主力としてプレーした。
なお当時のチームメイトに、後にバルセロナやリヨンなどで活躍し、ブラジル代表にも選ばれたFWソニー・アンデルソンがいる。
カズもU-20で力をつけ、1986年2月、名門サントスとプロ契約を結ぶ。しかし、ほとんど出場機会をもらえず、南部のマツバラ、北部のCRBへ武者修行の旅に出る。
初出場で決勝点のアシスト。
1987年、18歳となった幸一は時折トップチームの練習にも参加した。サンパウロ州選手権のジュベントス戦でベンチに入り、後半途中から初出場。緊張でガチガチになったが、こぼれ球を咄嗟に前へ出したらCFニウソンが強引に決め、これが決勝点となった。
ニウソンはその翌年、カズとも一緒にプレーした長身の点取り屋だった。
翌年3月、カズがキンゼのトップチームに加入した。この頃、幸一はU-20とトップチームの練習を掛け持ちしていた。2人が同時に公式戦のピッチに立つことはなかったが、トップチームでしばしば一緒に練習した。そして9月、カズはコリチーバへ移籍する。
一方で幸一は1990年、出場機会を求めてブラジル北東部のセントラルへ期限付き移籍。州選手権などに出場した。