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チェ・ヨンスは本当に怖かった……。
驚愕の“パネンカ”と取材激闘秘話。
posted2020/06/13 20:00
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by
Penta Press/AFLO
「フジワラノリカのファンなんですよ」
まだ本人がJリーグに移籍してくる前、2000年の秋の韓国でのインタビューの合間に、崔龍洙(チェ・ヨンス)は言った。
かなり驚いた。言葉の主は「恐怖のストライカー」として名を馳せていたからだ。'93年のAFC U-19選手権準決勝の日韓戦後に、日本ベンチにボールを蹴り込んだ逸話は有名だった。また徴兵期間中の'97年頃に韓国代表で大ブレイク。この時期、試合前に敬礼する姿もインパクトがあった。
ところが、この時の対応は至ってマイルドだった。「'97年フランスW杯予選のソウルでの日本戦では、鼻の骨を折りながらもプレーを続けた」という話をしつつも、インタビューの合間にこちらに話しかけてくるほどだった。
想像するにその頃からJリーグへの移籍を望んでいたのだろう。'99年、安養LGチータース(現FCソウル)からイングランドのウェストハムへの移籍がほぼ決まりかけていたが、ご破算になった。当時、韓国ではクラブスタッフ(つまり彼の場合はLG系の社員)が移籍交渉に臨む時代だった。崔龍洙の存在は、後に大韓サッカー協会が代理人試験制度を実施するきっかけともなった('15年にFIFAが制度を廃止)。
その後の彼との対面は、この時のような“開いている時”、“閉じている時”が繰り返される、なかなか壮絶な時間となった。
「あー、今日は神様のおかげです」
'01年、崔はジェフユナイテッド市原(現千葉)に移籍。日本で再会することになった。ここからは再び“恐怖”の時間だった。なにせ試合後に呼びかけても、返ってくる言葉が少ない。
活躍した試合でもこの具合なのだ。
「あー、今日は神様のおかげです」
もともと韓国の中でも口数が少ないと言われる慶尚道地方(釜山)の出身。取材はなかなか困難が伴った。
'03年7月、その怖さを、ピッチ上で絶妙に活かす姿を目にした。コリアンJリーガーをウォッチングし続けている筆者にとって歴代最大の衝撃だった。