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本田圭佑を直撃取材。「中学から
人生の逆算の方程式はできていた」
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byGetty Images
posted2020/06/21 09:00
直撃取材はCSKAモスクワに所属していた2011年に行われた。同クラブには4シーズン在籍し、うち2季でCLに出場した。
中学から海外に出る道を描いていた。
――なぜユースは受かっても行かないつもりだった?
「すごいシンプル。当時、ユースってプロに行ける可能性が低かったと思うんですよ。オレはプロになるという日標から逆算して、そのためには子供ながらに高校選手権に出ないといけないと思った。選手権に出て大活躍すれば、プロのスカウトの人の日に留まるから。そういうことを中学1年生のときに考えて、高校サッカーの方に行くって決めていた」
――そんなに早い段階で。
「そうそう。今みたいな状況であれば、ユースもありだなって思ったかもしれないけど」
――中学生のときは毎日がむしゃらに練習して、そういうことを考える余裕はない気がする。思考のゆとりはどこから?
「ゆとりなんてなかったよ。本当にサッカーのことだけを考えていたから。でも、今考えると、逆算の方程式はできていたね。日標から遡って何をすべきかっていう。選手権に出て、プロになって、海外に出るっていう道は、中学生のときに描いていたわけだから。まあ、これは親父の影響だよね。親父の教育が今考えたら大きかった」
僕は小学校からなんでも1番だった。
──父親から逆算しろと言われた?
「いや、親父は『これをしろ』とは絶対に言わなかった。ただひとつだけ『なんかするなら絶対に1番にならな話にならん』って。ホンマそれだけ。具体的にこうしなさいって言われたことは一度もない」
――とにかく1番になれと?
「サッカーだけじゃあかん。バスケでもバレーでも、野球でも、なんでも1番になれって。だから僕は小学校からなんでも1番だった」
――じゃあガンバユースに落ちたのは心の傷にならなかった?
「いや、でもねぇ……やっぱり傷ついたし……悔しかった! 悔しくてしょうがなかった。それこそ当時、自分よりも上手いやつがいるってことを認めようとしなかった。オレの方が全然上やんって。ガンバの指導員はホンマ見る目がないやつやんってね」
――そういう悔しさは原動力になった?
「もちろん、そうですよ。やっぱり人間って誰しもそういうコンプレックスを抱えながら生きていると思う。で、自分でモチベーションをあげて、奮い立たせる。自分を支えるのは自分しかいないから」