熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
カズが変えたブラジルの日本人観。
“サッカー下手”を覆す偉大な功績。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2020/06/09 18:00
サントスFCの練習場にある、カズの壁画。今もレジェンドとしてその名を刻んでいるのだ。
当時の監督も「最も優れた選手」。
当時の雑誌プラカールは毎週、ポジション別のランキングを掲載しており、カズは左ウイング部門で3位。1位はブラジル代表のジーニョ(当時、フラメンゴ。1995年~97年まで横浜フリューゲルス)だった。
現在とは異なり、当時はブラジルのトップ選手のほとんどが国内でプレーしていた。そのような状況で3位というのは、ブラジル代表に匹敵する実力の持ち主と評価されたことになる。
後に、カズはブラジルメディアへのインタビューで次のように語っている。
「あの頃、日本人がブラジルでプレーするのは大変なことだった。サントスのような名門クラブでは、なおさらだ。
でもサントスではペペが僕を信頼し、チャンスを与えてくれた。そのおかげで結果を残すことができた。ペペには、本当に感謝している」
これに対してすでに80歳を超えたペペは、「カズは 私が指導した中で最も優れた選手の1人。大変な努力をする男で、人間性も素晴らしかった」と暖かい眼差しで回顧している。
日本人のイメージを変えたカズ。
15歳でブラジルへ渡った痩せっぽちの少年は、幾多の苦難を味わいながらも、誰よりも練習することで逆境を跳ね返し、ついにはフットボール王国で一流と認められる存在となった。
少年から大人の男に成長した。フットボールに関しては世界一厳しいブラジルのメディアとファンから愛された。
それだけではない。カズは、ブラジルにおける日本人のイメージを変えた。
1908年、ブラジルへ最初の日本人移民が到着した。以来、日本人はまず農業で頭角を現わし、その後は商工業にも進出。「誠実で働き者」という評価が定着し、ブラジルは世界有数の親日国となった。
しかし、ことブラジルの国技フットボールに関しては、全く評価されていなかった。
「日本人はフットボールが下手」というのが定説で、ブラジル人がボールを蹴っていて「お前は日本人みたいだな」と言われたら、それは最大の侮辱だった。
それでもカズは小クラブからスタートし、徐々にステップアップして、最後はブラジル代表クラスの選手と認められた。しかも、華麗な足技を駆使するドリブラーで「日本人なのにブラジル人より上手い」というギャップがファンを熱狂させた。