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トルシエJ、川口と楢崎の序列って?
名守護神バツが語る伝説のGK合宿。
posted2020/06/05 11:30
text by
フローラン・ダバディFlorent Dabadie
photograph by
Kyodo News
フランス人のサッカー愛好家たちにとって、1986年W杯の準々決勝でブラジル代表の名手ジーコのPKを止めたジョエル・バツ氏は、永遠のヒーローです。
「当時はまだビデオ分析などないので、ジーコのPKの蹴り方の情報は一切ありませんでした。ただ、彼はインサイドのパスが得意だし、試合に入って間もなかったので、難しい蹴り方はしないと推測しました。そして彼が蹴る直前に、私は自分の手でゴールの左方向を指した。ここに蹴るんだろう、分かってるよって。ブラフが効きましたね」
リヨンの自宅からテレビ通話のスクリーンに微笑みを見せるバツ氏。35年後の今も、このフランスvs.ブラジルの試合は伝説の一戦として記憶に残ります。彼は1992年にパリ・サンジェルマンで現役生活を終え、GKコーチとなりました。ウェア、ライー、レオナルドらを擁した同クラブの最初の黄金期を支えたのです。
ロリスを育てた男とトルシエ。
2000年からはリヨンに加入し、若きグレゴリー・クペやユーゴ・ロリスをフランス代表GKにまで育て、鍛え上げました。
「ユーゴは頭が良くて、生真面目でした。体は大きくはないけれど、ジャンプのタイミング、反応力が凄まじかった。ただ、優しすぎて、メンタルを変える必要がありましたね」
バツ氏がリヨンと契約する直前、日本代表監督のフィリップ・トルシエは、わずかな期間フリーだった彼に1本の電話を入れました。
「日本サッカーは著しく発展しているが、2002年W杯まで時間がない。日本人選手やコーチに一流の専門家であるあなたから刺激を与えてほしい。ジョエル、ぜひ日本に来てくれないか」
今回、私はぜひ当時の話をもう一度バツ氏から聞きたかった。
4年間のトルシエ・ジャパンの中で、1999年の 御殿場“GK合宿”とコパアメリカは、私から見て大きなターニングポイントだったからです。この時、トルシエ監督はどんな構造改革が必要なのかを理解しました。
バツ氏のような海外のスペシャリストを呼ばないと、日本代表の強化は恐らく難しいと、再認識したのです。トレーナー、ドクター、ビデオ分析、スカウト、あらゆる分野の外国人専門家を時には短く、時には長く日本に滞在させ、日本人コーチたちと代表スタッフたちとの交流を誘導したわけです。