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“甲子園”に行けなかった藪恵壹。
高校生へ「必ずチャンスはある」。
text by
藪恵壹Keiichi Yabu
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/06/03 18:00
中止となった夏の甲子園。高校3年の息子を持つ藪氏は、自身の経験をもとに球児たちにメッセージを送った。
思い出した、対外試合禁止処分。
息子たちを見ていて思い出したのは、私の高校時代(和歌山県立新宮高)です。
というのも、高校2年生の6月から3年生の5月まで対外試合禁止処分が下り、丸々1年間試合ができなかった経験があるんです。原因はいわゆる「しごき」でした。
処分が出るまでは練習もできませんでしたから、部活の時間には学校周辺の掃除やグラウンドの整備みたいな奉仕活動をしたり、漢字ドリルをやっていることもありましたね。2年生の頃から私たちの代がレギュラーの中心だったこともあって、ひとつ上の代は6月で実質引退になってしまいました。練習再開は新チームになってしばらくした、秋ぐらいだったか、冬季練習ぐらいからだったかもしれません。なんとか最後の夏には間に合うかなという気持ちで、必死に取り組みましたね。
処分が解けて最初の練習試合は、それまで野球らしい野球ができなかったことへの鬱憤が爆発しました。初回から全員が打って、なかなか攻撃が終わらなかった。結局、最初の2回で10点ぐらい取ったと思います。私も初回、2回と2打席連続でホームランを放ちました。ただ、3回以降は完全に打線が沈黙してしまって、監督にひどく怒られましたね(笑)。
高校最後は不完全燃焼だった。
処分後に参加できた公式戦は最後の夏の県大会だけ。勝ち進んでベスト8まで残り、準々決勝で当たった桐蔭高にサヨナラ負け。相手エースは2年生だったんですが、とにかくスライダーが良かったですね。チーム全体で5安打しかできず、1点も取れませんでした。私も8回までは2安打に抑えていたんですが、9回に2本のヒットを繋がれてしまった。1本とはいえヒット数は上回っていたこともあって、不完全燃焼ですよ。あっという間に終わってしまった、という気持ちしかありませんでした。
大学に上がってからは甲子園経験者とも一緒にプレーしましたが、とにかく羨ましかったですね。部屋に遊びに行ったら土が置いてあったりして、いいなあと思っていました。